1992年5月5日のオリックスvs近鉄(藤井寺)では、思わず「GO!GO!」と言いたくなるような5つながりが実現した。

 開幕からオリックスの4番を任された石嶺和彦は、打率1割6分7厘と不振にあえぎ、4月26日の日本ハム戦から6番に降格。この日も5番DHとして出場していた。

 5月5日に5番で出場。これだけでも5が3つも揃っているのだが、話はこれだけでは終わらなかった。

 5月以降の4試合すべてで安打を記録し、「ツキ(月)も変わったし、何か予感めいたものがあった」という石嶺は4月の絶不調を挽回するかのように打ちまくる。

 1回2死一、三塁で迎えた1打席目に高柳出己から右前先制タイムリーを放つと、3回2死一、二塁では2点目となる左前タイムリー。5回2死二塁でも中前、7回無死一、二塁には左前と4打席連続タイムリーを放ち、この時点でチームの全得点を叩き出した。

 そして、8回2死一、二塁のチャンスに2番手・山田真実からも中前タイムリー。なんと、5月5日に5番を打って、5打数5安打5打点の5打席連続タイムリーと、5を7つも揃える快挙を達成した。

 ちなみに5打席すべてでタイムリーを記録したのは、1951年8月1日の岩本義行(松竹)以来、41年ぶりの珍事だった。

「5の5は初めてじゃないかな。たまたまです」(石嶺)。

 豊見城高校時代に5季連続甲子園出場をはたした(1年時はベンチ外)“ラッキー5”の男は、1年後の平成5年(1993)5月5日のダイエー戦(福岡ドーム)も5番DHとして出場し、5打数2安打1打点を記録。さらに阪神FA移籍した1994年5月5日の広島戦(広島)にも5番レフトで出場し、シーズン5号を放っている。

 5回までノーヒットノーランに抑えられていたチームがわずか1安打で薄氷の勝利。スコアは何対何でしょう?

 こんなクイズを出したら、大抵の人は「1対0」と答えるはずだ。

 ところが、1980年5月13日の西武vs日本ハム(後楽園)は、1安打なのに3対0という結果になるのだから、野球はなんとも奥が深い。

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1安打以下の勝利を達成