「それでも、情熱は萎えなかったんですよ」

 最後の難関は3週間の教育実習だった。

 母校で臨むケースが多い。ただ、清水の生活拠点は完全に関西に移っていた。実習を受け入れてくれそうな、そこまで関係の深い高校など簡単に思いつかない。

 入社2年目に、清水が高校野球地方予選の結果を伝えるラジオ番組を担当したとき、取材を通して知り合った和歌山のある学校の監督に気に入られ、取材や大会のたびに食事に行き、酒杯を酌み交わす仲になっていた。

 清水はその監督を頼ることにした。

「実は、教師になりたいんです」

「実習、どうするの?」

「関西は縁がないんで、どうしようかと」

「じゃあ、いつでもおいでよ」

 その監督の、まさに鶴の一声で、和歌山市内の学校で教育実習に臨むことが決まった。

 高校野球をきっかけに生まれた清水の“2つ目の夢“も、高校野球の世界がこうやってつないでくれたのだ。

 退社直後の2016年7月、兵庫県の教員採用試験の1次をクリア、翌8月の「甲子園の真っただ中」に2次を受け、9月に合格が決まった。2017年春、初めての赴任先は兵庫県立西宮今津高。ウィキペディアで清水の経歴を調べた生徒から「桧山の引退試合の実況、YouTubeで見たで」。そうした触れ合いの中に時代の変化も感じるという。

 地歴科の教諭で、今年からは1年生の担任も持つ。野球部の顧問としてノックバットも振るう。マメがつぶれ、皮がまたついた手のひらはごつごつだ。それでも「監督になるなんて、まだ無理です。野球、分かってないわ……って思いました」。

 実況席からだと、グラウンド全体が見通せる。選手の動き、相手の動き、球の動き。ところが、ベンチはグラウンドレベルで横からしか見えない。それでも、1球ごとに、瞬時に判断し、攻撃ならサインを出し、守備なら守備位置を指示する。

「ホント、高校野球の監督はすごい。すごいと思う人ばっかりなのに、甲子園に出てくる人はわずか。出てない人で、すごい人、いっぱいいます。とてもじゃないけど、今の自分には監督は無理。もうちょっと勉強しないといけない。実況していたころのこと、謝ります。本音です」

 そう笑う清水の顔は、充実感に満ちあふれていた。

「人生初だらけ。ノックも授業も、生徒との面談も初。でも、新鮮ですね」

 あの夏から、20年。

 松坂大輔の250球を伝えた男は、教師として今、新たなる道を歩んでいる。情熱を傾けて伝えてきた聖地の素晴らしさ。それをいつか、ユニホームを着て、体験してみたい。

 清水の夢は、尽きることがない。

「松坂君に『17回の実況』をしたというのは、話したことはないんです。彼にしてみたら『だから?』ってことですよ。よく『あの実況をした』というアナウンサーを見ますけど、嫌みを込めてなんですが、うらやましく思いますよ。だって、すごいのはアナウンサーじゃなくて、高校球児なんです。でも、あの実況では、その凄さを伝えていない。だから今も、心がちくちくするんですよね」

 夏の実況席から見つめ続けた背番号「1」は、いまなお、マウンドに立ち続けている。自らの可能性を信じ、ひたすら追い続ける。歩む世界は違っても、その志は清水も、松坂も同じなのだ。(文・喜瀬雅則)

(敬称略)

●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス中日ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。