関西にはなじみがなかったが、朝日放送はプロ野球では阪神がメーン、夏の甲子園はテレビ、ラジオで全戦中継を行い、大会前にも大会中も甲子園の特集番組が組まれる。

「だから、実況は楽しかったんですよ。甲子園は暑いからイヤだとか、第1試合で朝が早いからイヤだとか、そういうの、全くなかったんです。終わりが寂しかったし、もうちょっとやろうよって感じ。幸せでしたね。こんな仕事ができてね」

 順風満帆。いつしか、ABCの「看板アナ」と呼ばれる存在にまで成長していた。

 なのに、清水の心の中で、情熱の炎が大きくなっていく、もうひとつの夢があった。

 先生になりたい--。

 高校野球の取材にのめりこみ、個性あふれる指導者との交流も増えるにつれ、その気持ちはどんどん大きくなっていった。

「最初のきっかけは、球児と指導者。その人間関係がホントに素敵やなと思ったことなんです。高校野球の監督って、50歳、60歳、70歳。そのおっちゃんらが、10代の高校生に真剣に言う、叱る。生きる道を説く。大の大人が高校生に向き合っている。選手たちに言いたかったんですよ。こんなええおっさん、世間におらんよと。遠くから見ていて、その関係が、きらきら、まぶしかったんですよ」

 なりたいな。

 でも、無理だ。

 心は、揺れ続けていた。

 そんなときに見たのが、NHKドラマ「フルスイング」。名打撃コーチとして30年間にわたり、計7球団で指導した高畠導宏氏が、コーチ業のかたわら通信制の大学で勉強し、教員免許を取得。59歳で教壇に立ったが、アマ資格を回復する2年を待たずして病に倒れ、高校野球の指導者になれないまま、この世を去る。その実話をドラマ化したものだった。

「いけるやん。オイ、いけるやん。50歳超えて、勉強している人がいるやん」

 高橋克実演じる主人公が、一人で必死に勉強しているシーンを清水は食い入るように見つめていたという。

「ずっと自問自答していたんです。自分で勝手に盛り上がって、やめてしまうだろう。いや、本気かと。じゃあ、試してみるぞと」

 日大の通信制で教員課程での勉強をスタートさせたのは2011年。もちろん、アナウンサーとしての仕事との両立だった。忙しくて、イヤになる。それなら、自分の思いもそれくらいだったんだ。清水は自分を試す、思いの強さを測るために、あえてしんどい道を選んだのだ。多忙なスケジュールで、順調なら2年半のところを、その倍の5年かかった。

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