「キャリアがいってからなら、試合の途中で、これは歴史に残る試合だと気づく。どえらい試合になると分かる。でも、あの時の僕は、ただ必死だった。野球って、このあとこうなったら面白いとかを考える、間のあるスポーツじゃないですか。入社15年目くらいで、キャリアを積んで、引き出しが増えていれば、待ち構えられたんです。だから、楽しんでもない。『200球を超えました』とか実況では言っている。でもそれが、どれだけすげえと思っていたのか、ホントに怪しい。だから悔しい」

 あの「8月20日」のスコアブックを見せた。「懐かしい」と言いながら、清水が指さしたのは「2回裏」だった。

 PL学園は先頭の5番・大西宏明のセンター前ヒットを皮切りに松坂から3点を先制した。その打者8人のうち、3本のヒットと犠牲フライはセンター方向だ。

「これ、明らかにセンター返しなんですよね。気づいているはずなんです。でも、実況を聞き返してみたら、一言も言ってなかったんです。所詮、5年目の腕なんですよ」

 センター返し。そのPL学園が見せていた松坂対策に、はたと気づいたのは、あの夏が終わり、先輩アナのラジオ番組中に清水が定時のニュースを読むためにたまたまスタジオに入り、先輩の「清水アナは延長17回を実況していたんです」という紹介をきっかけに試合の話になった時だった。その先輩アナがこう言ったのだ。

「2回に、センター返しが続いたんだよね」

 清水は途端に、心の動揺を抑えられなかった。

「そうなんですよって、言えない自分がいたんです」

 PL学園というチームの特徴も、そして試合の状況を冷静に読む力も、まだ、何もついていなかったと清水はいう。

「聞き直して、ますますへこんだんです。なんじゃこれは……って。こんなすごい試合に立ち会えた。なのに、オンエアはダメ、へたくそ。正直、聞き直したくないんです」

 高校野球が大好きだった。東京出身の清水は早稲田実で野球部に入ったが、ベンチ入りもできないまま、高校野球生活を終えた。早大に進学し、アナウンサーを目指したときも面接で「野球の実況がしたい」とスポーツアナ志望を前面に打ち出し「できるのなら、どこでもいいと思った」。

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もうひとつの夢