さらに日米同盟の最前線である沖縄に目を転じると、米軍基地周辺の人々が、職務のように希望したわけでもないのに危険に身をさらし、不安な日々を送っている。

 そうした現実に目をやれば、世の明るさに影がさすかもしれない。それでも、明るさの向こうにあるものを忘れまい、と思う。

 一方で、命を日々、直接支えているものといえば「食」だ。入院中は色水のような流動食に始まり、三分がゆ、五分がゆ、全がゆと少しずつ体を慣らしていく。

 退院すると、家に「縄文米」が届いていた。入院中にSNSで見て無性に食べたくなり、ワイルドな風貌の生産者に送っていただいた。大分県臼杵市で農業に取り組む、ミュージシャンの男性だ。

 支える側と支えられる側。ここにもそれぞれの人生がある。

  ◇
 退院する数日前のことだ。隣のベッドの男性が手術に運ばれていった。病室に残った初対面の奥さんから「挨拶が遅くなりまして……」と声をかけられる。不安でだれかと話したいのかもしれない。つい励まそうとして「手術はきっと成功すると思います」と返したあと、ちょっと安易すぎただろうか、と反省する。

 最初の手術から2年3カ月。気分がいい時も、悪い時もあった。体調が悪くなれば物事や世の中の見え方は変わる。目につく人や物事が気に入らず、心の中で悪罵を浴びせるかつてのような日々が、またいずれ訪れるだろう。今回のように知らぬ間に動脈瘤ができて、破裂すれば、その間もないかもしれない。

 だからこそ、書き残しておきたいのだ。

 へそ曲がりで物事を斜めに見る私が、かりそめだろうと「世の中は明るい」と確信し、「くれた文明」などとうそぶいた日のあったことを。

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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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