「難治がん」の記者 入院生活で考えた「まだ書き残していること」はなにか? (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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「難治がん」の記者 入院生活で考えた「まだ書き残していること」はなにか?

連載「書かずに死ねるか――「難治がん」と闘う記者」

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<写真キャプション>
野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

<写真キャプション> 野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

ブログに激励のページを作ってくれた三浦良さんによるコラムの紹介(左)と、入院を心配してメッセージをくれた村本大輔さんのツイート

ブログに激励のページを作ってくれた三浦良さんによるコラムの紹介(左)と、入院を心配してメッセージをくれた村本大輔さんのツイート

22日間の入院生活を終え、病院から自宅に向かう筆者。思わず笑顔がこぼれる。5月11日、東京都内

22日間の入院生活を終え、病院から自宅に向かう筆者。思わず笑顔がこぼれる。5月11日、東京都内

 うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。45歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「入院生活」を振り返ります。

【村本大輔さんのツイートと退院した筆者はこちら】

*  *  *
 今月11日、退院した。腹と背中の痛みにうめき、救急車で担ぎ込まれたのがうそのように快復した。ひっそり育った動脈瘤の破裂を免れ、たくさんの激励に人の温かさを知った。振り返れば悪くない、22日間の入院生活だった。

 3日夕。病院に現れた父親から問われてもいないのに、私は近況を語り続けていた。

「この人は『友を鼓舞し、激励するために』とページを作ってくれたよ。ありがたい」

「ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんはこんなにメッセージをくれた。ありがたい」

 それから、退院したら誰と誰が会いにきてくれる予定で――。話していてふと気づき、笑ってしまった。

「最近、『ありがたい』しか言ってないな」

 そうなのだ。ものを書いても、口を開いても、ありがたい、誰それが何々して「くれた」ばかり。くれた、くれたで明け暮れる。これでは紀元前に滅んだ地中海の「クレタ文明」もとい「くれた文明」ではないかと、だじゃれが思い浮かんだ。

 そんな一人ひとりと世の中の、なんと明るく、温かいことか。

 ふいに「今、それが誰かに役立つならば命を捨てられる。人生にきれいに幕が引ける」という感情にとらわれた。

 おかげで翌4日夜に、ズキ、ズキという痛みが右腹に3、4度走り「もう書けなくなるかも」と弱気になったときも、「まだ書き残していることは」との問いにまず頭に浮かんだのは、「世の中は明るい」という確信だった。

 不思議なものだ。少し前は明るさどころか、コラムを書くにしても、燃料はもっぱら怒りだった。体に不安のない人たちの「やっつけ仕事」や、ありがちな「がん患者像」を当てはめられそうになることへのいらだち。もろもろを混ぜ込んだ漠然とした攻撃的な気分だ。


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