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「難治がん」の記者 「これで死ぬのかもしれない」緊急入院で湧き上がった思い

連載「書かずに死ねるか――「難治がん」と闘う記者」

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野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

ベッドから見た室内の様子(左)と天井(右)

ベッドから見た室内の様子(左)と天井(右)

病院に運び込まれ、検査室に運ばれる直前の筆者

病院に運び込まれ、検査室に運ばれる直前の筆者

 うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。45歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は、突如襲った痛みと緊急入院のことをお伝えします。

【病室や検査室に運ばれる直前の筆者の様子はこちら】

*  *  *
 腹と背中の痛みは、まるで万力で締められたようだ。「苦しい」という自分のうめき声が絵空事のように自宅のベッドで響いた。

 目を開けられずにいると救急隊員が到着し、名前や生年月日、当日の日付を立て続けに聞かれる。コラム掲載の日程から逆算し、かろうじて「20日です」と答える。おなかの人口肛門からゴボッ、ゴボッとゼリー状にあふる鮮血と、口から吐いた茶色いしぶきが目に入った。

 2018年4月20日午前5時45分。救急車に乗るのは人生初である。

 ストレッチャーに仰向けになった目の前を、玄関の天井の白、空のブルーグレー、救急車の天井の白と、スマートフォンの画面をスクロールするように、目を開けた瞬間に見える風景が、静止画像で足もとから頭のほうへ流れていく。

 出発前、配偶者に「パソコンを病院に持っていって。電源も」と息も絶え絶えに頼み込んだ。この翌日掲載される「アエラドット」の原稿を仕上げるのに必要だからだ。「異変」が起きたのもそれにかかったところだった。

 まだコラムの話をしている姿に、配偶者は泣きそうな声で私の名前を呼んだ。後から聞くと、「この人はこの場面もネタをキャッチしたと思っているんだろうな」と思っていたそうだ。
 病院に到着しても、仰向けの状態は変わらない。激しく吐き出すと少し楽になった。「これで死ぬのかもしれない」。がんになって初めてそんな考えが頭をよぎった。どうなるにせよ、自分の姿はとどめておこう。検査室に移動する前、自分の様子を写真に撮るよう配偶者に頼んだ。数枚撮ったところで看護師から「撮影禁止」と告げられる。


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