清原のバット投げ、カネやんキック…ファンの脳裏に焼き付く「乱闘劇」 (2/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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清原のバット投げ、カネやんキック…ファンの脳裏に焼き付く「乱闘劇」

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久保田龍雄dot.
西武時代の清原 (c)朝日新聞社

西武時代の清原 (c)朝日新聞社

「バットを投げつけたのは、27年の審判生活でも見たことがない」(斎田忠利審判部長)という前代未聞の事件が起きたのは、89年9月23日のロッテvs西武(西武)。

 3回に推定距離130メートルの特大満塁弾を放った西武の4番・清原和博は、7対0とリードの4回2死一、二塁で、この日3度目の打席に入った。

 ところが、前の打席で満塁弾を打たれたロッテの2番手・平沼定晴の初球が左肘を直撃する。「狙っているような顔をしていた」と故意を確信した清原は、血相を変えてバットをマウンドに向けて投げつけた。バットはバウンドして、グリップの部分が平沼の左太ももに当たった。

 怒った平沼が突進すると、清原も走り寄り、強烈な右ひざ蹴りをお見舞い。2メートルも吹き飛ばされた平沼は、激昂のあまり、グラブをスタンドに投げ入れた。

 体当たりされた際に左肩鎖部も痛め、その後、2週間の安静加療と診断された平沼は「避けられない球ではない。アイツが悪い」と憮然とした表情だった。

 一方、清原は先ほどまでの勢いはどこへやら、一目散に自軍ベンチに逃げ帰ろうとしたが、田野倉利行コーチに追いつかれ、ディアズにヘッドロックをかけられて押し倒されるなど、ロッテナインの逆襲を食ってしまった。

 騒ぎの大元となった清原は、プロ4年目で初の退場処分と厳重警告、30万円の制裁金、2日間の出場停止処分を受け、「申し訳ない。何と言われても仕方ない。バットを投げたことに一番心が痛む」としょげ返った。

 この事件は、当時まだ好青年のイメージが強かった清原に対する世間の見方を一変させるとともに、連続試合出場も490でストップ、チームも騒動の余波を引きずるようにV5を逃してしまったという意味でも、失ったものは大きかった。

 中日・宇野勝のヘディングと並ぶ“珍事件”として今でもB級ニュースファンの間で語り草になっているのが、1991年5月19日の近鉄vsロッテ(秋田)。

 2点を追う近鉄は9回2死二、三塁と一打同点のチャンスをつくるが、ここで3番・トレーシーが園川一美から左腕に死球を受けたことに激昂。ヘルメットを投げ捨てると、バット片手にマウンド目がけて突進した。

 園川がライト方向に逃げ出すと、トレーバーは執拗に追いかけて猛タックル。ライト付近で両軍入り乱れての大乱闘になった。
前川芳男審判が「乱闘を起こした当事者」としてトレーバーに退場を命じ、騒ぎは収まったかに見えた。

 ところが、いったん三塁ベンチに引き揚げかけたトレーバーは、何を思ったか、突然一塁ベンチのロッテ・金田正一監督目がけて突進するが、直後、足がもつれてヘッドスライディングよろしくズデーンと前のめりに転倒した。

「羊がライオンに襲われてるのに、黙って見とられるか。ウチの選手が危害を受ければ、身を呈して守る」と怒り心頭だった金田監督は、すかさず顔面に“カネやんキック”をお見舞いした。

 2度にわたる乱闘劇で試合は12分中断。近鉄・仰木彬監督から「金田監督がトレーバーを蹴った。両者退場ではないのか?」とクレームがつき、事態は一層紛糾したが、足蹴りの一件をパリーグ会長への報告書に盛り込むという条件で、試合再開となった。

 近鉄はトレーバーが全治5日の打撲傷を負ったのをはじめ、大石大二郎が口内裂傷、藤瀬史朗コーチが両腕打撲、ロッテも佐藤健一が右手首打撲と計4人が負傷。近鉄は3人も負傷者を出したうえに、試合にも負けてしまい、まさに踏んだり蹴ったり(蹴られたり?)。

●プロフィール
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。


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