1984年のホームラン王に輝いた中日・宇野(左)と阪神・掛布 (c)朝日新聞社
1984年のホームラン王に輝いた中日・宇野(左)と阪神・掛布 (c)朝日新聞社

 2018年シーズンが開幕して間もないプロ野球だが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「タイトル争い編」だ。

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 1984年、セリーグの本塁打王争いは、掛布雅之(阪神)と宇野勝(中日)がともに37本で並び、両チームとも残り2試合となったが、よりによって、2試合とも両チームの直接対決だったことから、2日間にわたって泥沼の四球合戦が繰り広げられた。

 まず10月3日の25回戦(ナゴヤ)、中日の先発・鈴木孝政は1回1死一塁で掛布を当然のように歩かせる。この時点で中日はマジック1とはいえ、2.5ゲーム差で首位・広島を追っていた。まだ逆転優勝をあきらめていない地元・名古屋のファンは、勝敗度外視の敬遠策に鼻白んだ。掛布の四球でチャンスを広げた阪神は、バースのタイムリーなどで2点を先制した。

 しかし、その裏、阪神の先発・御子柴進も先頭の宇野にいきなり四球。1死後、谷沢健一の左越え2ランが飛び出し、2対2の同点になった。

 その後も両チームの四球合戦は続き、7回2死満塁で宇野が敬遠の押し出し四球というとんでもない事態にエスカレート。「長い間野球をやってきたけど、満塁で敬遠されたのは初めて」と本人も当惑するばかりだった。

 結局、掛布、宇野ともに5打席連続四球で、計10打席40球すべてボールという泥仕合になったが、1日おいて甲子園で行われたシーズン最終戦でも“第2ラウンド”が待っていた。

 2人とも前の試合同様、5打席すべて歩かされ、10打席連続四球。1965年にスペンサー(阪急)が記録した8打席連続四球を上回り、日本記録を更新してしまった。

 この結果、本塁打王は2人が仲良く分け合うことになったが、この試合で新人王獲りがかかっていた阪神の先発・池田親興は、四球合戦のとばっちりで、7回2失点の好投も勝ち投手になれず、9勝止まり。10勝を挙げた高野光(ヤクルト)に新人王をさらわれてしまったのは、お気の毒だった。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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4年後にあっさり更新