やっぱり、死というものを身近に感じていないと、生きることにも一生懸命になれないのではないかと思うんです。人間は、必ず死ぬ。それも、いつ襲ってくるか分からない。だからこそ、今、若い人には自分が本当にやりたいことをやって欲しいし、自分もそれを追求したい。

■身近な人の死は、生と死の隔たりを少し取り除く

 母はとても信心深い人で、高野山にたびたび行っていました。僕も連れて行かれて宿坊に泊まり、奥之院などにもよく行きましたね。大木の木立が荘厳で、新鮮な気分になるんです。歴史に出てくる人たちのお墓が多くて、織田信長や明智光秀の墓というのもありますよ。敵対してたはずなのに、お墓は近い(笑)。死んでしまったら、みんな同じなんですよね。

 母は普段から夜になると毎日、般若心経を上げていました。何か困ったことがあると、弘法大師が助けに来てくれるとか、(亡くなった)おばあちゃんが来てくれる、と言って。僕自身もそれが、受験勉強など苦しい時の励みにもなってましたね。

 かわいがってくれた祖父母が亡くなった時には、生と死の隔たりが少し取り除かれたような気分になったし、もし今後、両親が亡くなったら、余計にそういう気持ちが強くなるでしょう。死んだら先に逝ったみんなのところに行く、向こうに行ったらみんなが待っていてくれる、というような。それは強く思いますね。

 僕自身が死ぬ時のことを考えれば、自分の介護で妻や子どもたちを何年も束縛することは、あまりしたくない。最期には、自分の人生幸せだったなぁ、と心から思えて、妻と子どもたちに「ありがとう」って言って死ねたらいいな、と思っています。

※『医者の死生観 名医が語る「いのち」の終わり』から