■人間は必ず死ぬ。それもいつ襲ってくるか、分からない

 総合診療はいわば最前線ですから、医学生の頃、漠然と「いつか自分も」と考えていたように、常に感染の危険があります。また、どこかに災害支援に行けば、二次災害に巻き込まれる可能性もないわけではない。年齢的にももう50代半ばを過ぎ、数年のうちに何かあっても不思議ではない。なので、死というものは受け入れざるを得ないなぁ、と思いますね。

 最近、どうやって死のうかな、なんて考えるんですよ。自分の中では、尊厳を持って死にたい、というのが大きくて、患者さんにお話しする時も意識をします。もちろん、自分の考え方が絶対だとは思わないし、人に押し付ける気は毛頭ないけれども。

 僕の価値観で言うと、尊厳のある死とは口から食べられるかどうか、また、意識がちゃんと保たれているかどうか。それがなくなってまで延命処置をするのは、どうかな、と。この場合の延命というのは、とにかく心臓が止まらないようにサポートをする、ということですが。

 基本的には、個人それぞれの考え方が尊重されるべきだと思っています。ただ、今の医学教育では死を扱うことがとても少ない。病気の人を「治す」ことが大部分を占めていて、終末期をどう迎えるか、尊厳のある死とは何なのかということをディスカッションした覚えが、私自身にも全くないんですよね。でもこれからは、そういうことがとても大事です。

 都会と違ってここでは、在宅に帰った入院患者さんを私たちが訪問診療で診ます。病院にいる時の様子と、家に帰った時の患者さんの様子、両方が見られる。全然違うんですよね。病院では嚥下が難しかったのに、家ではちゃんと口からご飯食べてたり。また、家で亡くなる方も多いので、見学の医学生や研修医の先生たちと一緒に、本当に幸せな死に方とは何なのか、自分だったらどうして欲しいのか、もう一度考え直すことができる。教育的にも、とても良い機会です。

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