近鉄時代の野茂英雄 (c)朝日新聞社
近鉄時代の野茂英雄 (c)朝日新聞社

 各地でオープン戦も真っ盛りだが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「快記録達成目前の暗転劇編」だ。

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 ノーヒットノーラン達成目前から一転逆転サヨナラ負けという悪夢を味わったのが、“平成の大エース”と呼ばれた巨人・斎藤雅樹だ。

 1989年8月12日の中日戦(ナゴヤ)、斎藤は8回まで無安打無失点と絶好調。7回までゼロ行進だった味方打線も、8回に川相昌弘の左越え三塁打で待望の先取点を挙げると、9回にもクロマティ、原辰徳の連続アーチで貴重な2点を追加し、3対0。「これで勝負あった」と誰もが思った。

 その裏、斎藤は先頭打者の中村武志を切れのあるスライダーで空振り三振に打ち取り、まず1死。1976年4月18日の加藤初以来、球団史上13年ぶり14度目のノーヒットノーランまで「あと2人」となった。

 ところが、ここで思わぬ伏兵が現れる。この日1軍に上がったばかりの2年目の代打・音重鎮が初球を右翼線安打。目前で記録がストップした斎藤は、それでも笑顔を見せて、「大丈夫!」とアピールしたが、2死後、川又米利に四球を与え、一、二塁から仁村徹に右前タイムリーを許し、完封勝利もフイになってしまった。

 そして、直後、さらなる悲劇が待ち受けていた。2死一、三塁で4番・落合博満に右中間への逆転サヨナラ3ランを浴びてしまったのだ。

 快記録目前から逆転サヨナラ負けという暗転劇に、斎藤は目に涙を溜めながら終始無言。代わって中村稔投手コーチが「今日は何だかんだつける理由がない。とにかく野球は何が起こるかわからないんだ」とコメントした。8回の一打が“幻の決勝打”に終わった川相も「打った落合さんが上だったんでしょうか…」とため息をついた。

 同年、翌1990年と連続20勝を挙げるなど通算180勝を記録した斎藤だが、現役時代を通じてノーヒットノーランは、ついに一度も達成できなかった。

 1993年6月9日のヤクルトvs巨人(金沢)、ヤクルトのドラ1ルーキー・伊藤智仁は、切れのあるスライダーを武器に、初対決の巨人打線からバッタバッタと三振の山を築く。8回を終わった時点で15奪三振。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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野茂が大リーグに行く契機になった悲劇?