命を救うのが医師の仕事である一方で、「命の終わり」を提示するのも医師の務め――。救急や外科手術、がんやホスピスなど死に直面することが避けられない現場で日々診療を行っている医師20人に、医療ジャーナリストの梶葉子がインタビューした『医者の死生観 名医が語る「いのち」の終わり』(朝日新聞出版)。その中から、日本でも有数の患者数を誇る藤沢市民病院救命救急センター長・阿南英明医師の「死生観」を紹介する。

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 医者になった理由はいくつかあるのだけれど、子どもの頃の非常にプリミティブな感覚として、とにかく死が怖かった、ということもその一つ。

 僕は妄想家なんです。例えば中学の頃に保健体育の先生が、授業で梅毒の話をするでしょ。電車のつり革にも菌が付いてるんだぞ、なんて言われると、もうそれだけで、僕にも付いてるかもしれない、どうしよう!ってなる(笑)。

 病気とか、死ぬかもしれないという恐怖感。それを克服するにはどうすればいいだろうと考えた時、方法としては敵を知るしかない。敵を知れば対処方法も分かるだろうし、恐怖感がなくなるかもしれない。それには、医学部に行って医学を勉強すればいいのだな、と。小・中学生の頃は、漠然とそう思っていた。

 救急を選んだ理由は非常にシンプルで、どの診療科も面白くてどれか一つを選ぶなんてとてもできなかったから。全部できることをやろうと考えたら、救急になった。もちろん当時は大学に救急医学講座なんてなかったし、分野として確立もしていなかったけれど。

 僕のベースは、内科医です。でも手術にもどんどん入ったし、診断学、血液学など様々な分野の勉強も猛烈にした。救急医には、膨大な知識と経験による的確な診断と指示、そして、10分も話をすれば、その人の人生を分かってあげられる想像力――僕の場合は妄想力だけど――が必須だと思う。

■医者の仕事の大半は患者の死を看取ること

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