元々、安倍総理は典型的な保守的家族観を持っている。基本的に女性は家で家事と子育てに専念するのが本来の役割であり、それが女性の幸せであるという考え方だ。

 おそらく、安倍総理のお友達が集まる官邸も似たような考え方のスタッフばかりだったのであろう。

 そんな面々には、とても女性の気持ちを汲み取ることなどできなかったのだ。

 そして、この時から、もう一つ一貫して安倍政権の女性活躍政策にまとわりつく「胡散臭さ」というものがある。

 それは、安倍総理は、本当に女性のことを考えているのではなく、ただの手段として利用しているに過ぎないのではないかという疑念である。前述の、「女性の支持率を上げたい」という思惑は、だれでも勘づく。

 もう一つの問題は、女性活躍が、常に成長戦略として語られることである。政権支持率を維持するためには、経済のパフォーマンスが重要だ。安倍政権が日銀やGPIFなどの公的資金で株価維持をするのはそのためだ。その一環として、人手不足の中で女性労働者が増えれば、企業が助かり景気にプラスだという単純な皮算用があるのである。

 しかし、これも、多くの女性にとっては、疑いのまなざしを向けたくなる大きな要因になっている。

●待機児童0は当然のように先送り

 もう一つの安倍政権の女性政策の特徴は、選挙目当てで、きれいごとを並べるが、目標がかなり先で、選挙の時の実績評価ができないことである。

「2020年までに指導的地位の女性割合30%以上」という2013年の参議院選挙の公約はその典型である。2020年までにと7年先の目標を挙げたが、そんな先のことを言われてもどう評価していいかわからない。17年6月になってみて、これが本当に実現できるとみている人はほとんどいないだろう。これから起きることは、経団連などで女性管理職30%を目指すとして、名ばかり管理職が増えるのがオチだ。

 出生率を2025年度までに希望出生率の水準である1.8にするという目標を掲げたのも参議院選直前の2016年5月だった。ただし、この時は、女性に産めよ、増やせよ、という目標を立てることへの反発が強く、選挙公約には期限は盛り込まれなかった。

 いずれにしても、目標時期を2025年度と言われても、そのための具体的手段がこれまでとほとんど変わらないのでは、ただ言っただけということに過ぎない。現に、2016年の出生率は1.44と前年比0.01ポイント減少してしまった。

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