京都人にとって「鮎」も欠かせない存在だ
京都人にとって「鮎」も欠かせない存在だ

 京都を訪れた人の多くがやっているけれど、意外と京都人はやらない言動があるのをご存じだろうか。生粋の京都人であり、歯科医師、かつ作家で、『できる人の「京都」術』の著書でもある柏井壽氏に、そんな言動についてきいてみた。

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 節分を前にした厳寒のころのことです。その店の炭火コンロでは筍が焼かれていました。右隣に座る東京からの客は身を乗りだして、焼き上がりを待ち侘びています。 やがて焼きあがった筍を口に運んでうっとりと目を閉じて、こう言いました。

「さすが京都ですね。こんなに寒いときに筍が食べられるなんて、思ってもいませんでした」

 この行動、「さすが京都」と言っていますが、実は京都の人はあまりとらない言動といえます。どうしてでしょうか。

 季節の食は、「走り」「旬」「名残」の3つに分けることができます。

「走り」に価値を見出すのは江戸っ子です。「女房、質に入れても初鰹」などと言われるように、「走り」のものを好みます。

 京都のとある割烹店で、店主からこんな言葉をきいたことがあります。

「東京からのお客さんに喜んでもらおと思うたら、走りのもんをいち早く出さんとあきませんねん」

 一方、京都人が好むのは、「名残」。先ほどの割烹店で、東京からきたお客さんに「走り」の筍を焼いている横で、京都人のお客さんに焼いてくれていたのは「モロコ」。琵琶湖産を最上とするモロコは、晩秋に冬の訪れを告げる魚です。

「夏の鮎」「冬のモロコ」は京都人にとって細かな季節の移ろいを教えてくれる魚であり、欠くことのできないものなのです。

「モロコ」は、梅の花がほころび始めると、そろそろ終わりを迎えます。

 だから、節分を前にした時期に京都人に好まれるのは、「名残のモロコ」なのです。

 京都でお店に入って、「走り」ではなく、「名残」のものを選ぶと、「お、この人は違うな」と思わせることができるかもしれません。