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京言葉が「いけず」な理由は歴史にある?

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どうして京都人の言葉はこんなにも、まわりくどいのか

どうして京都人の言葉はこんなにも、まわりくどいのか

「ぶぶ漬でも、どうどす?」と京都で言われたら、それ、すなわち「帰れ」という意味。都市伝説のようにそう伝わってきた。どうして、京言葉は、「いけず」(意地が悪い)で「わかりづらい」のか。都人ではない私たちは、京都人のたおやかな振る舞いに、「本当はどう思っているのかな」とオドオドしたり、時に「もっとストレートに言ってくれればいいのに」などと思ったりする。

 どうして京都人の言葉はこんなにも、まわりくどいのか。生粋の京都人であり、歯科医師、かつ作家で、『できる人の「京都」術』の著書でもある柏井壽氏にたずねた。

*  *  *
 あいまいな物言いの京都人の言葉は、京都以外の人にはやっかいなものに思えるかもしれません。京都の人は、よくこのように表現します。

「白にも見えるけど、黒にも見えんことないなぁ」

 この言い回しのように、はっきり白黒を付けることを好まないのは京都人の常です。どうしてそうなるのかといえば、それは長い都の歴史の中で、絶えず戦が交わされていたからです。

 いつも戦いの場となってきた京都では、昨日の敵は今日の友、などは当たり前のこと。もちろんその逆になることもしばしばでした。オセロゲームのように、あっという間に形勢が逆転するのも珍しいことではなく、したがって「旗色を鮮明にすること」は「大きな賭け」になります。敵とも味方とも付かないような態度をとることで、身の安全をはかってきたのが京都人。

 そうして千二百年をやり過ごしてきたDNAは一朝一夕に変わるものではありません。京都ムラでは言葉をあいまいにすることが長く求められてきたのです。

「よろしいなぁ」

 これも、典型的な京都人の言葉です。「(どっちでも)よろしい」という意味でも使いますが、嫌味っぽい気持ちを込める場合もあります。

 心底うらやましがっているときも、まったく良いとは思っていないときも、小馬鹿にするときも、みんな「よろしいなぁ」なのです。


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