集まってくるのは生きたばかりではない。本堂の裏には猫用の納骨堂があり、月に何度か「亡くなったペットを供養してほしい」と遺骨を持ち込む人もいる。「遺骨は10年経過すると、土に返す予定です」(板橋住職)とのことだ。御誕生寺では日曜日の午後に座禅会を開いており、「猫のご縁で出会った方が、その後もお寺に来てくださればうれしい」(同)との思いがある。

 「十代後半に肋膜炎で長く入院していた時期がありました。また、敗戦濃厚な時期はイモのつるを食べて飢えをしのいだりもした。終戦がもう1週間遅ければ、私は飢え死にしていたでしょう」と板橋住職。青年期に、さんざん心身の苦痛を味わうも、長生きしてもうすぐ90歳に手が届く。これまでの人生で、猫から得た教えは少なくない。

「頭の中を空っぽにして、ただ寝転んでいられる。それで春の柔らかな風が吹いてくれば、気持ちよさそうに目を細めるし、危険が迫ればさっと身をかわします。思考や言葉の介入なしに、ただ反応するだけの実に爽やかな存在です」(板橋住職)

 境内で蓮の花を眺め、猫をかわいがる板橋住職の周りには、訪問者が絶えない。御誕生寺はすっかり観光地となり、人が集まる場となった。ここは、猫が自由気ままに生きるパラダイス……。「うちの寺は宗教・宗派にこだわりません」(板橋住職)とのことだが、しいていえば集まる人はすべて“猫教”か“猫派”。座禅の極意を猫に求めているようでもある。(ライター・若林朋子)