――留学して心境に変化は生まれましたか。

 世界で2番目に神経幹細胞を培養していたラボに、眼科医の私がいるという状況です。異分野に行ったというのが出合いでした。眼科医はそこに私しかいない。自分が網膜の新しい治療法をつくらないといけない、という気持ちになったんですね。

 でも、私以外は、神経幹細胞が網膜の病気の治療に使えるとは、思いもしません。ボスは、脳の神経科学の研究者としては非常に著名な先生ですが、「神経幹細胞を使って網膜の治療をする」と私が言ったら、はじめは笑われました(笑)。

 ただ、「やってみて、いい結果が出たらもっとやってもいいよ」と言ってくれたんです。与えられた研究テーマは別にありましたが、こっそりやっていました。いい結果が出たら、「じゃあこっちのほうがおもしろそうだね」とボスも認めてくれました。

 もともと、自分は夫の研究を手伝うつもりだったから、留学先のラボでは何を研究しているのかよく知らないまま留学したんです。ところがそこで、全く新しい概念の細胞と出合った。なんだろう?と思いますよね。本当にラッキーでしたね。

■ES細胞を使った網膜色素上皮シートの研究

――帰国してからも研究を続けました。

 脳の神経幹細胞をそのまま網膜の病気の治療に使えると思っていたので、5年くらいで臨床現場で治療に使えると思っていたんですね。それで帰国して研究を続けたんですが、そんなに簡単ではなかったですね。

 網膜の神経幹細胞を使おうとしたのですが、治療に使えるほどたくさん増えません。そこで、胚性幹細胞(ES細胞)を使って、網膜の病気の患者に移植するための網膜色素上皮細胞を作る研究を始めました。治療の直前までいったんですね。そのまま、ES細胞から網膜色素上皮細胞を作って網膜の治療をすることもできたかもしれません。

 ところが、日本ではES細胞を治療に使うためのガイドラインがないので、できません。海外では私たちの研究をもとに、ES細胞を使った網膜疾患治療の臨床試験を進めていますね。

 網膜の病気は、当時はいい治療法がありませんでした。でも、私はES細胞から茶色い網膜色素上皮細胞ができたのを目にした時点で、これはいい治療になるし、多くの患者さんの役に立つと思ったんです。

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