サハラ・アラブ民主共和国は、82年にOAUに加盟。アフリカの大部分の国は、同国を独立国として承認していたからだ。これに反発したモロッコは、84年にOAUを脱退し、アフリカで唯一OAU及びAUに加盟していない国となった。

 そのモロッコが今年、AUに再加盟したのだ。西サハラを国家として承認してきたアフリカ諸国と、西サハラの帰属はまだ決まっていないと唱えるモロッコが、AU内でどのように共存していこうとしているのか、気になってならない。

 私にとっての西サハラは、国際社会における建前と本音を、初めて目の当たりにした場所だ。

 当時大学生だった私は、アフリカをバイクで縦断する旅を計画中で、外務省発表の安全情報を、目を皿にして読んでいた。西サハラについて、ポリサリオによるゲリラ戦はないものの、多数の地雷が埋められているため、不要不急の渡航は控えられたしと書かれており、縮み上がっていたことを覚えている。

 一方、世界中の都市を網羅する旅のガイドブック「Lonely Planet」のアフリカ編に目を通すと、同地域を旅行者が訪ねることになんら問題はなく、旅行者であふれている様子が伝わってきた。地雷が残っていることも、旅行者の往来があることも、いずれも嘘だとは思わなかったが、その両方が共存している風景を、まだ彼の地を訪れていない私には、全く想像することができなかった。

 1995年、スペインからモロッコに入り、南へ向けてバイクを走らせ、西サハラに入った。モロッコと西サハラの国境には、ごく小さな碑があるだけで、なんのセキュリティチェックもない。西サハラに入った後、道路沿いの要所に設けられた検問はすべてモロッコ軍によるもので、「西サハラ」という存在を知らなければ、ここがモロッコだと言われてもわからなかっただろう。

 道中、フランスやオランダ、スペインやドイツなど、西欧から車を走らせてきた旅行者をひっきりなしに見た。途中、車を止めて立ち小便をする旅行者に向けて、「あんまり奥まで歩いて行くと、地雷を踏んでボンッだからな」と笑いながら話す声を、 何度となく聞いた。

 西サハラを抜け、モーリタニアに入るためには、西サハラ南部の町ダハラから、モーリタニアの国境手前まで、モロッコ軍が先導する軍用車両について走らなければならなかった。その理由は「安全上の理由」から。今も地雷が多数残っており、また、ポリサリオによる襲撃がないとも言えないため、往来する人と車両を守るために、コンボイを組んで集団で移動すべしとのことだった。

 しかし、何人もの旅行者が往来を繰り返している道路周辺に地雷があるはずもなく、ポリサリオにゲリラ戦を続ける体力もない。さらに、ポリサリオが旅行者を襲うような集団ではないことは、初めてアフリカを訪ねたばかりの若造の私でも、ある程度想像することはできた。

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