「都電よごくろうさまでした」の看板が見える千住四丁目終点は日光街道を上る自動車洪水の中。21系統の都電の脇に止まるのは「トヨペットクラウン」MS50系ワゴンといすゞ「ベレット」。その背後が日野自動車の初期キャブオーバートラックTC30系(撮影/諸河久:1968年1月23日)
都電終点で繁盛していた商店街はいずこへ。拡幅された日光街道と高層マンションが林立する千住四丁目終点跡。(撮影/諸河久:2019年9月30日)
低い家並が続く志村橋終点を発車して巣鴨(巣鴨車庫前)に向かう41系統の都電。(撮影/諸河久:1964年4月5日)
当時の雰囲気が残る現在の志村橋終点跡。旧景左端の「志村橋外科医院」は介護施設「メイプルヴィラそよ風」に変わっている。(撮影/諸河久:2019年9月30日)
生活感溢れる葛西橋終点で折返しを待つ錦糸堀行き29系統の都電。旧葛西橋界隈はハゼ釣り客で賑わったという。(撮影/諸河久:1965年12月9日)
半世紀後に訪れた葛西橋終点跡。旧景に写る「清水釣具商会」や砂町名物アンパンの「ナカヤ」が盛業中だった。(撮影/諸河久:2019年10月17日)