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うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は、膵臓(すいぞう)がんで8月に亡くなった翁長前沖縄県知事と、基地問題について。
* * *
5日朝。ベッドに放り出してあるスマートフォンをつかみ、いつものように寝転んだまま朝刊を読みはじめた。
「がん末期の日々 妻が語る」という記事が目に留まった。沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事が膵臓(すいぞう)がんで8月になくなる直前、どんな様子だったか。そこに妻への最後のメッセージが出ていた。
「(病気のせいで)自分をコントロールできず、子どもたちに当たってしまうかもしれない。でもそれは本当のお父さんじゃないよ、と子どもたちに伝えてほしい」
見た瞬間、フーッと鼻から息が漏れた。そばにいた配偶者に「このあたり、読んでみて」とスマートフォンを手渡した。彼女は目を通して、いった。「これ、最初のころに言ってたやつだね」
その通りだ。抗がん剤を使う前か、使い出した後か、時期は覚えていない。だが確かに、私も彼女に頼んだことがあった。
「これから体が大変なとき、自分はひどいことを言うかもしれない。でもそれは病気が言っていることで、自分が言ってるんじゃない。気にしないで」
自分が自分でなくなるという予感。そして、これまで使ったことがないような言葉で相手を傷つけることへの恐怖。
それと同じ気持ちだったかと思うと、那覇市長時代にいっぺんだけ実物を見かけた翁長さんが身近に感じられ、身につまされた。
しかし、と思った。彼は本当に記事通りの言い方をしたのだろうか。だとすれば、私がそうだったように、相手を傷つけるだけの時間がまだあると考えていたことになる。
もしも死が迫っていると感じていたのならば「最後のメッセージ」はおのずと違う内容になっていたに違いない。あるいは死を覚悟しているがゆえに、言い残すべきことはとっくに伝えてあったということか。
結論は出ないと知りながら、つい考えてしまう。病気が絡むと、感傷的になって仕方がない。
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その翁長さんがすべてをかけて取り組んできたのが米軍普天間飛行場の移設問題だ。
私と彼に共通する「がん」というレンズを通したとき、基地負担として語られる米軍絡みの事件・事故、騒音はどう映るか。考えた末、改めて思い至ったのは「どれも人がもたらしている」という事実だった。