たとえば地域差だ。
国立がん研究センターががんによる都道府県別の死亡率を発表している。「75歳未満」「男性」「膵臓がん」でデータを比べると、沖縄と私が長年暮らす東京のいずれも10万人あたり1桁の人数で収まる。大きな差とは思えない。
また、膵臓がんは、肺がんにおける受動喫煙のようなリスクは耳にしない。
私が膵臓がんになっても「不平等だ」とか「誰それのせいだ」と、みじんも思わなかったゆえんだ。
しかし、基地負担はどうだろうか。
沖縄に基地が集中しているのは、人が決めたからだ。だからこそ、その気になれば、解決の道を探ることができる。できるのに、そもそも目を向けようともしない人たちがいれば怒り、あるいは無力感を募らせる。そして自分や大切な人たちの命を守ろうと行動する気持ちは、受動喫煙対策を求める気持ちと同じように理解できる。
実はこのコラムを書くにあたり、ショックなことがあった。
自分で見た基地負担の姿を描こうと、民主党政権時代に普天間を訪れた時の情景を思い出そうとした。騒音によって空気が震え、耳ばかりでなく肌で感じたような記憶がある。だが、ほかのことはまるで覚えていないのだ。そこで暮らす人たちがどんな表情をしていたのか――。現地におもむき、基地の記事を書きながらも、まったくひとごとだったと思い知らされた。
今は、体調が悪ければちょっとした物音も神経に障る。基地周辺でがん患者が暮らしていたとする。翁長さんが「本当のお父さんじゃない」と表現したような体調の時に爆音にさらされたら、どれだけこたえるか。想像するだけで苦しくなる。
がんを仲立ちにすることでようやく、基地負担と自分がつながるきっかけが生まれたのかもしれない。
◇
「がん末期の日々」を読んで一夜明けた6日朝。職場に向かった配偶者から「白い朝顔咲いてます」とメッセージが届いた。植えてある玄関先に出ようとドアを開けると、青空が目に飛び込んできた。
静かだ。東は仙台から西は名古屋まで、これまで暮らした10カ所はどこも静かな空が広がっていた。
普天間の騒音を引き受けるかと聞かれれば、勘弁してほしいと答える。世の大半がそうだろう。その一方で、同じように願いながら、騒音ばかりでなく、ほかの負担まで強いられている人たちがいる。
二つの空は表と裏だ。考える出発点はいつも頭の上に広がっている。