「歌もダンスも芝居もみんな当たり前のようにできて、『SnowMan』のほかのメンバーはアクロバットもできる。自分はそのなかで、秀でたものが何もないんです」
そこから、自分の武器になるものは何か考えた。それが、勉強だった。小学生のころから「答えが一つに決まる」算数やパズルが大好きで、将来の夢は「踊れる算数の先生」だったこともある。
「『勉強キャラ』をつけようと思ったんです。そうすると、大学には行かないとな、と」
■死ぬほどうれしかった「おめでとう」の言葉
高校3年のときに先輩グループのドームツアーに同行し「大勢の観客に見られる快感を知った」。だが大学進学の決意は揺らがず、ツアー直後にメンバーへ半年間、受験勉強のために休業することを告げた。グループとしての活動に影響が出るため快く思わないメンバーもいたというが、それでも阿部さんは「両立」にこだわった。
「欲張りかもしれないけど、どっちもやりたい、と思っちゃって。こんなむちゃなことは『いましかできない』と思ったので、それからは両立する道をひたすら選んでいくようになりました」
「暗記ノート」をつくって通学時などのすきま時間を見つけては知識をたくわえ、1日最大12時間勉強して上智大の理工学部情報理工学科に進学を決めた。
大学進学後も「いましかできない」、そして「自分にしかできない」道を探し続けた。大学2年からチャレンジしたのが気象予報士。「暗記ノート」を駆使し、メンバーたちにも内緒で楽屋や自動車教習所の待ち時間に勉強を重ね、合格率4%という難関を5回目の試験で突破した。そして、現役芸能人としては異例の大学院進学。学業の負担もさらに増し、マネジャーとの話し合いの途中に号泣するほど悩んだが、歩みを止めることはなかった。
大学院修了の日。大学進学のとき反対したメンバーから、携帯電話にメッセージが届いた。
「大学院修了おめでとう」
それだけのそっけない言葉が「死ぬほどうれしかったですね」という。いましかできないことを大事にする、自分にしかできないことを一つ決めてやり通す。そうして歩んできた道が、間違っていなかったと思える一瞬だった。