「あの頃は、完全にどうかしてた」

 山里亮太さんは、大阪の吉本総合芸能学院(通称・NSC)に通っていた時代を、こう振り返る。今から20年前の話だ。

 当時、山里さんは、M君という年下のイケメンと「侍パンチ」というコンビを組んでいた。だが「一刻も早く漫才が上手くなりたい」という焦りから、次第にM君に対して“暴君”のように振る舞うようになったという。

 例えば、滑舌を良くするために墓場でひたすら「ルルルルル」と言わせる、「なんでやねん」だけを3時間練習させる、バイトを休ませてお笑いのビデオを数十本見せ続ける、1日30個ブサイクいじりのワードを考えるように宿題を課す……。

「僕らのネタ合わせを見た同期からは『カツアゲをしているようだ』と言われました」

 度を越した要求に、M君は心身ともに疲れ切ってしまう。結局、NSCを卒業する前に、侍パンチは解散してしまった。

 しかし山里さんの暴君っぷりは、これだけに止まらない。次に組んだコンビ「足軽エンペラー」でも、相方の富男君に無理難題をふっかけ続けた。

 山里さんの著書『天才はあきらめた』には、当時の心境がこう記されている。

「僕は相方にその(編集部注:オーディションに勝てないことの)責任を押し付けていた。でも本当はこの頃には、はっきりとではないが、気づいていた。相方どうこうじゃなく、ネタがよくないということに。その事実が垣間見えそうになるときには、それを振り払うかのように相方に対して厳しくあたった」

 富男君は、何を言われても山里さんが考えたネタをほめ、口答えしなかった。だが、ある日、ネタ合わせに20分遅刻してきたことを山里さんからなじられた瞬間に、キレた。元・暴走族のリーダーという経歴を持つ富男君は、鬼神のごとき顔で両手に自転車を1台ずつ持ち、ブン投げてきたという。

「本当に、M君と富男君には申し訳なく思っています……。あのときの僕は、相手に無茶苦茶言うことで『自分は努力してる』って思ってたんです。『俺はこんなに漫才に熱いんだぞ!』って、怒っている自分に酔ってた。でも、そんなことをしている間に、しゃべりやすい環境を作って、一緒にネタ合わせしたほうが、よっぽどいい漫才ができただろうなって、今は思います」

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今の相方、しずちゃんとの関係は…