もちろん、批判があるだろうことは予想していました。それでも出版しなければと考えたのは、この事件は日本社会に深刻な問題を投げかけたのに、この1年ほど、マスコミがほとんど報道もしなくなり、急速に風化しているという現状に危機感があったからです。

 一方で、障害者やその関係者はいまだに恐怖を抱えているのですが、その恐怖は、真相が解明されていないからだと思います。障害者施設の職員だった人間が、なぜあのような考え方に至ってしまったのか、そもそも植松被告自身が精神的な病いにおかされての犯行なのか。精神鑑定も既に2回行われていますが、事件の骨格に関わる部分がほとんど明らかになっておらず、それゆえ恐怖はいつまでも続いているのです。一般の人たちの無関心と当事者たちの恐怖という、このいびつな現実を突破するのはメディアの役割と責任だと思っています。

 植松被告の手紙や手記を掲載したのは「創」の昨年9月号からです。意外に思われるかもしれませんが、障害者やその関係者から大きな関心が寄せられ、真相解明を求める声が予想以上に多かった。障害者や家族、あるいは施設で働く人にとって、この事件の衝撃と恐怖がいかに大きかったかということです。

 植松被告の裁判はこれから開かれますが、死刑になる可能性が高いと言われています。彼は重度の障害者だけでなく、死刑囚についても「いつまでも執行しないのは間違いだ」と主張しているので、彼に対する裁きはそう遠くないうちになされる可能性があります。ただ問題はそれで終わらず、大事なのは事件やその背景を解明することです。植松被告を罰しただけでは事件の再発防止にはなりません。犯罪というのは社会に対するある種の警告ですから、それにこの社会がどうやったら対抗できるのかが問われているのです。

──篠田編集長はこれまで宮崎勤元死刑囚など、多くの死刑囚と面会をしています。植松被告の印象は。

 植松被告の犯罪は、印象としてはオウム事件に似ています。犯罪を犯した当事者の意識は、主観的には社会改造なんですね。ですから彼はいまだに自分の考えに異様なまでに固執しています。

次のページ 植松被告が影響を受けた政治家とは