「結果は乳がんでした。覚悟はしていたつもりでしたが、改めて“がん”という病名をつきつけられ、本当に落胆しました。その一方で不思議と冷静に先生の説明を聞いている自分がいましたね」
そうは言っても「なぜ自分が?」という気持ちは消えず、日が経つにつれ、落ち込んでいくばかりだった。
「即入院・手術を勧められましたが、すぐ決断できませんでした。というのも、最初の検査で『がんの疑いがある』と言われた日から、親には言わず、すべてひとりで受診を続けてきましたから。でも、さすがに今回は黙っているわけにはいきません。『親にどう伝えるか』それだけを考え、帰路に着きました。でも、家に着いても玄関のノブがつかめなくて、情けない気持ちでいっぱいで、涙が止まらなくて……。どう伝えたのか、記憶がありません。でも、両親のものすごくがっかりした切なそうな顔、その後、『一緒に頑張ろう』と言ってくれたことだけは、はっきりと覚えています」
その後も気持ちの整理がつくまで入院をグズグズと引き延ばしていた小田さん。病院からも何度も催促があり、半年ぐらい経った頃にようやく腹をくくった。
「入院してから、再度検査したところ担当医が『そんなに悪さするがんじゃないかもしれない』と。その言葉だけが頼りでしたね」
先生の言葉通り、比較的おとなしいがんだった。手術は無事成功し、経過も順調。2週間の入院を経て退院し、3カ月後、仕事へ復帰を果した。
■左乳房に異常が、そしてリンパへの転移… 死への恐怖で押しつぶされそうに
手術から5年。再発もなく、完治のお墨つきをもらい、安心していた8年目、46歳のとき定期健診で今度は左胸にがんが見つかる。
「前よりもショックが大きかったですね。『仕事や家族はどうなるのか』『どれだけ親不孝な娘なのか』、そして肉体的な女性としてのあきらめ、生命がしぼんでいくような死への恐怖が怒涛のように押し寄せてきて、しばらくは何も考えられませんでした」