サッカー日本代表監督への就任が有力とされる森保一氏 (c)朝日新聞社
サッカー日本代表監督への就任が有力とされる森保一氏 (c)朝日新聞社

 ワールドカップ(W杯)ロシア大会でベスト16入りを果たした日本代表。その指揮を執った西野朗監督の退任が決定し、次期指揮官として決定的なのが、現在は東京五輪に向けた世代別代表チームを率いる森保一監督で、A代表との兼任というプランだ。ここでは、実際にそれが実現した時の日本代表の姿を予想してみたい。

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 森保監督は、現役時代にはJリーグの発足前、日本サッカーリーグ(JSL)のマツダでキャリアをスタートしている。この時に、後の日本代表監督となるハンス・オフト氏と出会い、才能を発掘されたのが飛躍の大きな足掛かりになった。オフト・ジャパンでは中盤の守備的な位置でファーストチョイスとなり、アメリカW杯を目指すチームの中核になった。結果的にオフト・ジャパンは今でも語り継がれる“ドーハの悲劇”により、W杯の出場を逃したが、それが日本代表選手としての最も輝かしい時代だ。

 その後もマツダを前身とするサンフレッチェ広島でキャリアの大部分を過ごし、2004年には指導者に転身した。その中で、07年秋から09年いっぱいまでミハイロ・ペトロヴィッチ監督の指揮下でコーチを務めたのが、後の飛躍につながる。11年末にペトロヴィッチ監督がチームを離れると、そのサッカーの継承と発展を目指したチームの監督に就任。いきなりリーグ2連覇を達成すると、1年空いた翌年にもリーグ優勝。4年で3回ものハイペースで広島にタイトルをもたらした。

 実際に森保監督が率いたチーム、特に広島を変化させてきた部分を見れば、超がつくほどの攻撃的なサッカーを展開したペトロヴィッチ監督と、オフト監督に基礎を叩き込まれた現役時代のハイブリッドという印象が非常に強い。広島時代に指導を受けた選手の誰もが、「守備については本当に細かい指導をする」と話すタイプであり、その一方で情熱家だ。若手の育成に熱心であり、タイトルの掛かったゲームでも躊躇なく重要なポジションで起用することもある。

 現在指揮している五輪代表世代のチームでは、ペトロヴィッチ監督のチームを引き継いだのと同じ3-4-2-1がベースにある。一方で、いわゆる“ミシャ式”の代名詞の1つである、ボランチがビルドアップ時に降りる4バック化はほとんどない。あくまでも3バックのままビルドアップし、守備時には5-4-1で強固なブロックを作る形を採用している。良い守備を構築してベースにし、その後に攻撃に手を加えていくというチーム作りになるだろう。

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五輪代表との兼任ならばシステムも同じ?