「あるに決まっているじゃないか」と思った。病から回復した今や必要ないとしても、伝えたいことは色々ある。
彼のエッセーを読んでいたおかげで連載に踏み切れたこと。それがめぐりめぐって、今月19日にはがん患者の思いを舞台上でしゃべることになり、芸人の村本大輔さん(ウーマンラッシュアワー)に促されて配偶者まで舞台に上げられたこと。連載を読んだ人の反応まで広げたら、それこそきりがない。
そして、病気との付き合いで「~よりない」と思い定めるのは、先崎九段の影響もあるのでは想像していること。その新著を食事中も読み続け、「先崎は自分の中で大きな存在なんだよ」と配偶者に言い訳したこと。
そうしたもろもろを、彼のエッセーに登場したことがある共通の知人を通じて伝えることも考えた。だが考えてみれば、この連載以上にふさわしい場はない。何といっても、彼のおかげで立ち上がった連載なのだから、と思い直して記したのがこの文章だ。
将棋を心の支えに復活を遂げた彼に、それ以外に割くエネルギーはないかもしれない。だが私にとって「先崎学」は、棋士である以上に物書きだ。「これからも書くよりない」と思い定めてほしい。
時に私を鼓舞し、立ち上がらせ、時に朗らかな気分にさせてくれる。そんな「先崎節」を待っている。