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 先日、ベッドに横になっていたら右太ももの付け根が「ピキッ」とした。4月の緊急入院で大動脈瘤(りゅう)が育っていることが分かり、ステントを差し込んだ場所だ。

 当時、痛み出す前兆はまったくなかった。ということは、今また突然痛み始め、死のふちをさまようこともありうる、ということだ。動脈瘤(りゅう)も静脈瘤も、原因が分からないままひっそりと育っていた。これもまた、知らぬ間に育っていてもおかしくないことになる。

 だから開き直ることにしたのだ。「何をするにしても今のうちだ」。「もういいです」と自分から打ち切るのは、あの時の受験生だけでいい。

 そのせいもあって、この1週間は忙しかった。今月9日は、政治学者の丸山真男をテーマにした大学の市民向け講座をのぞいた。愛想のかけらもない木製の椅子に2時間。がんで肉がそげおちた体はキシキシと悲鳴を上げた。

 翌10日は都内のJR水道橋駅で社内の知り合いと待ち合わせ、アメフト部の騒動で揺れる日大の建物が立ち並ぶ東京・神田三崎町を小一時間めぐった。風景のどこに目をつけるか。散策の「プロ」と見込む彼に同行させてもらったのだ。

 11日の通院を挟み、翌12日はオーストリア大使館へ。フェイスブックで知り合ったドイツ語翻訳・通訳の加藤淳さんの講演を聞いた。建築家アドルフ・ロースの生涯は畑違いなぶん新鮮だ。今さら畑を広げる余裕はないのだが――。

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 深夜。配偶者が寝静まった部屋で、むくりとベッドから起き上がる。食べたものはおなかの人工肛門(こうもん)からすぐに出てきてしまう。そしておなかにはり付けた袋にたまるから、トイレに捨てに行きつつ、新たに食べなくてはならない。まるで追いかけっこのようだ。

 食べ物と同じように、本の知識も取り込む先から抜け落ちていく。本に青鉛筆で線を引いてはメモを書き込み、本に食いつくように読むことで抵抗する。

 気づけば夜明けまで3時間ほどだ。「ああ、1日が終わる」。上下のまぶたをくっつけ、考え事をやめる。細い目が1本の線となり、記者の1日が幕を閉じる。

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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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