南海時代の野村克也=1970年撮影 (c)朝日新聞社
南海時代の野村克也=1970年撮影 (c)朝日新聞社
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 2018年シーズンもオールスターまで1カ月を切り、今年の出場選手が気になる今日この頃だが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、現役時代に数々の伝説を残したプロ野球OBにまつわる “B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「監督1年目から本領発揮! 野村克也編」だ。

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 1970年、南海のプレーイングマネージャーに就任した野村克也は、ブレイザーをヘッドコーチに迎え、前年最下位に沈んだチームに“野村ID野球”の元祖とも言うべき“シンキング・ベースボール”を浸透させる。

 そんな野村采配ならではの奇策第1弾がお目見えしたのは、開幕3戦目の阪急戦(大阪)。2回、4番・長池徳二が打席に入ると、セカンド・古葉竹識がライトの定位置に移動し、ライト・門田博光がセンターの定位置よりやや右寄りへ。そして、センター・広瀬叔功が左中間といった具合に外野手4人による“長池シフト”を布いたのだ。

「長池の打球は全部二塁から右に飛んでいる」というデータに基づくものだが、はたして、右中間にライナーで飛んだ長打性の打球は、門田の真正面へ。3回の2打席目も門田への飛球となり、3、4打席目はいずれも一ゴロ。試合も8回に4番・野村の逆転2ランが飛び出し、南海が4対3で勝った。

 試合後、野村監督は「最初長池は『内野は3人ですか』と言っていたが、それだけでも気持ちを散らす効果があったと思う」としてやったりの表情だった。

 さらに同21日の近鉄戦(日生)では、レフトの柳田利夫がサードに入る内野5人体制を披露する。ターゲットは前年の首位打者・永渕洋三である。

 永渕は前年記録した162安打中28本が内野安打。「打球方向は60パーセントが本塁-二塁を結ぶ線より右へ飛んでいる」というデータから、サード・富田勝がショートの定位置、ショート・小池兼司が二塁ベース後方、セカンド・古葉が一、二塁間を守るという“永渕シフト”で対抗したのだ。

 2人とも南海戦で目に見えて打てなくなったわけではないが、前年41本塁打を記録した長池は28本、3割3分3厘をマークした永渕は2割9分5厘と成績ダウン。シフトの真の狙いは、「ノムさんは何をやってくるかわからない」と相手を心理的に追い込み、本来の打撃スタイルを崩すことにあったのだ。

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「打者に対して失礼」と激怒した野村監督だが…