病院につけていこうとしたが見当たらず、家中を探し回ったのが一昨年4月14日。最寄り駅の駅ビルで見つかったと9月26日に警察から連絡があるまで、半年近く手もとになかった。左薬指のあたりがスースーするような感じは徐々に薄れていった。かすかな食い込みも、肌の色の変化もやがて指から消えた。
指輪を不自由さの象徴とみる人もいる。しかし、私にとっては病気に立ち向かう夫婦を結びつける大切なものだ。もう戻ってこないとする。次はもっと大切なものが失われるのではないか――。不安が身に迫ってくるようなあの感覚は、二度とごめんだ。
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落とし物も忘れ物も早く戻ってきたほうがいいに決まっている。だが仮に戻らないとしても、すぐ戻る代わりに自由がない国よりはましだと、つい、両者を結びつけて考えてしまう。
きっかけは6年前、北朝鮮との政府間交渉の取材で北京を訪れたときのことだ。私はその日、取材拠点となる日本大使館にホテルからタクシーで向かった。ほこりっぽい路上で降りてすぐ、トランクに荷物を置き忘れたことに気づいた。
運転手の外見もタクシー会社も覚えていない。貴重な情報があったかもしれない領収書ももらっていない。現地で働いている女性に泣きついたが、半ばあきらめていた。
だから、数時間後に「荷物が見つかった」と連絡があった時は驚いた。
決め手は、その朝、チェックアウトしたホテルの玄関先で撮られた映像だった。タクシーに乗り込む私の姿とナンバープレートが映っていたのだ。
まずほっとして、次いでぞっとした。私のような間抜けにサービスするためにカメラが設置されているとは思えない。「撮る、撮られる」のが公然のこととして社会が動いている。これが監視社会なのか――。
北京ではその数年前、自民党幹部の同行取材でも薄気味悪い思いをした。
ある宿泊施設の固定電話で別の部屋の知り合いと話していると、電話口から「ザーッ」と雑音が聞こえてきた。あまりの大きさで相手の声が聞こえなくなった。食事などで部屋を空けると、ごく短時間なのに、マガジンラックから放り出した雑誌が元通りに片付けられていた。「『見ているぞ』と当局が牽制(けんせい)しているのではないか」。記者同士でささやきあった。