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どれも身の回りでは経験しないことばかりだ。だがもちろん「言論の自由」は日本でもずっと保障されていたわけではない。
劉暁波さんの「08憲章」からちょうど100年前の1908年。夏目漱石が「三四郎」を朝日新聞に連載し、登場人物に日本の行方を「ほろびるね」と言わせていた年だ。
1人の男が、漱石の親友だった正岡子規の墓がある寺の近くに引っ越してきた。社会主義者の片山潜だ。手がけていた「社会新聞」発行は弾圧され、「迫害来たる」との記事はガリ版印刷にせざるを得なくなったと伝えられている。片山も劉暁波さんと同じように、海外に活路を求める。違ったのは出国できたことで、最後はソ連で死亡した。
彼が力を入れていた普通選挙は今では当たり前のことだ。それなのに「暮らせない」と思うような空間が広がっていたわけだ。
彼が住んでいた辺りを先日、久しぶりに訪ねた。近所の公園では幼子が笑い声を上げ、ベンチの母親が見守っている。絵に描いたような幸せと「迫害」のいかめしさはやはり結びつかない。
2008年の中国と1908年の日本。自由がなかったのはどちらも同じだ。あちらではいまだに与えられないばかりか、それを求めた学生たちを政府が圧殺した事実さえ、歴史から消されようとしている。
では、2018年の自分は「表現の自由」を余すことなく使っていると胸を張れるか。一度、劉暁波さんにお目にかかって、ガツンとやられたかった。