サクソンウォリアーが日本生まれと言っても、これには少々からくりがあり、母親のメイビーはアイルランド生まれのアイルランド育ち。同馬を所有する世界的な競馬事業体のクールモアが、ディープインパクトと種付けするために北海道安平町のノーザンファームに預託してサクソンウォリアーが誕生した。同馬がノーザンファームで過ごした月日は1年となく、日本生まれのアイルランド育ちというのが生い立ちだ。

 クールモアは競馬界におけるガリバー的な存在で、野球ならニューヨーク・ヤンキース、サッカーならレアル・マドリーとも言えるような影響力がある。所有するのはどこに出しても恥ずかしくない血統馬ばかりで、メイビーも現役時代にG1を勝っている。そのような業界のリーダー的組織が日本の種牡馬に注目し、貴重な血統馬をわざわざ海の向こうから輿(こし)入れさせること自体、以前は考えられないような出来事だった。

 それこそ、かつての日本は欧米のいわゆる競馬先進国から「種牡馬の墓場」と揶揄されていたほど。それは今も変わっていないかもしれない。しかし、種牡馬ディープインパクトの名声と、その息子であるサクソンウォリアーの成功が、時代を確実に変えようとしている。

 JRA(日本中央競馬会)がまとめた年表によると、日本における近代競馬の発祥は1862年とされる。生麦事件が起きた文久2年のことで、JRAの創立は92年後の1954年。現在からさかのぼって150余年、組織立った運営がなされるようになってからは60年少々の歴史ということになる。冒頭に記した通り、イギリスの2000ギニーは今年で210回目、ダービーは239回目を数え、アメリカのケンタッキーダービーも今年で144回目を迎えた。それに対して皐月賞は78回目、日本ダービーは85回目と歴史には大きな隔たりがある。

 後進国の日本がレベルアップを図るためには、先進国である欧米から種牡馬を輸入する必要があったが、当然のように優秀な馬は高嶺の花。競走馬の核となる血統の改良はなかなか進まなかった。しかし、東京23区の地価でアメリカ全土を買えるといわれたバブル経済期に、強い円の力が日本競馬界にも追い風を吹かせた。高嶺の花だった馬たちが続々と輸入され、その中の1頭にディープインパクトの父であり、サクソンウォリアーの祖父となるサンデーサイレンスがいた。

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今や日本産馬は投資対象に