前日に続く死球を受け、投手をにらみつけるイチロー=1997年撮影 (c)朝日新聞社
前日に続く死球を受け、投手をにらみつけるイチロー=1997年撮影 (c)朝日新聞社
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 米大リーグ・シアトルマリナーズの会長付特別補佐に就任して新たな「ステージ」に入ったイチロー。今回は「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、オリックス時代のイチローを巡る「珍記録」&「天敵」を振り返ってもらった。

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 プロ3年目の1994年に当時のプロ野球記録となるシーズン210安打を達成したイチローだが、同年6月12日のロッテ戦(グリーンスタジアム神戸)では、プロ野球史上初のサヨナラ振り逃げを記録している。

 3対3の延長10回、オリックスは2死満塁とし、この日3安打と当たっている1番・イチローに打席が回ってきた。

 この時点で打率3割8分5厘をマークしていた首位打者のバットに期待がかかったが、カウント1-2から成本年秀の4球目、フォークを思いきり空振り。三振に倒れた。

 だが、イチローはツイていた。捕手・定詰雅彦がボールを後ろにそらしてしまったのだ。通常振り逃げは無死、または1死で一塁が空いているときに適用されるが、2死で捕手がボールを正規に捕球できなかったときは、一塁に走者がいても有効になる。

 三塁走者・本西厚博が決勝のホームを踏み、史上初のサヨナラ振り逃げが成立した。

 三振を喫したにもかかわらず、結果的に勝利の立役者になったイチローは「ラッキーとしか言いようがない。まあ、勝ったからいいじゃないですか」とニッコリ。

 それから20年後、2014年5月6日の日本ハムvsソフトバンク(福岡ヤフオクドーム)で、1対1の9回1死二、三塁から松田宣浩がサヨナラ振り逃げを演じ、「イチロー以来」と話題になった。

 三振が少ないことも大打者の条件のひとつ。イチローは1997年に216打席連続無三振の日本新記録を達成している。

 同年のイチローは、4月16日のロッテ戦(ナゴヤドーム)の第2打席で竹清剛治から三振を喫したのを最後に、2カ月以上も三振なしを続け、1978年に藤田平(阪神)がマークした208打席連続無三振のプロ野球記録と肩を並べた。

 そして、6月24日の日本ハム戦(東京ドーム)、記録更新がかかった1回表1死二塁の第1打席で、イチローはグロスの137キロストレートをライナーで弾き返した。当たりが良過ぎて二直併殺になってしまったが、この瞬間、209打席連続無三振の日本記録が誕生した。

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記録達成に“イチロー節”がさく裂