●現在も住人が戻れない双葉町
原発事故の影響で町の96%が「帰還困難区域」に指定されている福島県双葉町は2022年までに避難指示解除を目指す。しかし、自治体が行ったアンケートの結果、帰還を希望する元住民は15%以下。「戻らない」と答えた割合は全体の50%以上にのぼる。
確かに、双葉町が直面する現実は厳しい。しかし、同町役場町秘書広報課の橋本靖治さんは
「海外の人々には、決して福島全体がひどい状態にある訳ではないことを知ってほしい」と語る。「荒廃している現状は確かにあります。しかし、福島県のほとんどの場所で人々は笑顔で普通の生活している。東京オリンピックがこうしたリアルな状況をみてもらえる契機になることを願います」
双葉町は、どんな状況にあるのか。
帰還困難区域は、震災以来ほとんどが手付かずの状態だ。かつての町の目抜き通りを歩くと商店の窓ガラスが割れ、床には品物が散乱している様子が目に入る。工事用のトラックが時おり通り過ぎる以外、音をたてるものはない。文字通りのゴーストタウンだ。
町内にふたつある小学校のひとつ、双葉南小学校に足を踏み入れると、靴箱の周囲にランドセルが投げ捨てられたままになっていた。当時在籍した約190名の児童たちが、いかに慌てて避難したかがうかがえる。教室のひとつを覗くと、ランドセルや文房具が散乱し、黒板には「三月十一日(金)」の文字、その横には「卒業まであと8日」とあった。
校内に、破壊の痕跡は見て取れない。しかし、2011年3月11日以前とは決定的に違ってしまった。「これが原発事故の怖さだと思っています」。橋本さんはそう語る。「地震や津波は建物が倒壊したり、橋が流されたりと被害が目に見えやすい。しかし、原発事故の被害は目に見えません」
小学校を去る際、敷地内に咲く花に記者が触れようとしたとき、橋本さんは「触らないほうがいい」とやんわりと指摘した。「このあたりはまだ除染が行われていません」。“目に見えない放射線の恐怖”という言葉が改めて脳裏をよぎった。目に見えないからこそ、不安と恐怖が助長される。それが、福島が今も直面する風評への取り組みの難しさにつながる。