●未だに仮設住宅で生活をする避難者

 仮設住宅に現在も住む人々は、復興五輪という呼称に複雑な心境を抱く。南相馬市・牛越仮設住宅の自治会長・軍司昇さん(72)は「オリンピックが大事ではない、というつもりはありません。しかし、原発事故の始末もまだという状況で、避難生活を送る人もまだ大勢いる。復興五輪と呼ぶには、もっと生活が元に戻ったという実感が必要であるように思う」と語る。

 牛越仮設住宅の建造は2012年。当初は約400名の住民を擁し、月日とともにその数は減っているが、現在も90名ほどが居住する。その8割は高齢者だ。彼らの多くは福島第1原発から20キロ圏内に重なる小高区出身。同地区の避難区域指定は2016年4月に解除されたが、現在も仮設住宅に残る理由はさまざまだ。

 西内眞介さん(86)は生活の便を理由に挙げる。「早く(仮設住宅から)出ようという思いはあります。しかし、仮に地元に戻っても、街の整備が進んでおらず、お医者さんにかかったり、買い物したりするのに隣町まで30分もかけていかなきゃならない」

 避難生活の間に築かれた住民間の絆も、彼らを引き止める一因だ。

 早朝、敷地内のコミュニティーセンターからはラジオ体操の音楽が聞こえてくる。取材時、10名ほどが音楽に合わせて身体を動かしていた。仮設住宅で最高齢の佐々木清明さん(92)さんはこの交流が毎日の楽しみだという。

「一人暮らしで家の中だと喋る機会なんてないからね。ここ来るとみんなと話が出来っから、本当に愉快な一日の始まりになる」

 松本英子さん(77)はこの仮設住宅で3年前に夫をがんで亡くした。以来、茨城県に暮らす長男から同居の誘いを受けているが、仮設住宅の友人たちを置いて自分だけ出るのは心苦しいと語る。「夫と人生の大半を過ごしたこの土地にいたいという気持ちもあります」

 牛越仮設住宅は2018年3月に閉鎖予定だったが、未だ帰還先の見つからない住人のために期限が延長された。それでも2019年の3月にはすべての住人がここの仮設住宅を去らなければならない。

「やはり仮設は仮の生活の場所。ですからここにいくらいても、自分の本当の生活は戻ってこない」。軍司さんのそんな言葉が耳に残った。

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