松本英子さん(77)は仮設住宅で3年前に夫をがんで亡くしたが、夫との生活の思い出のある故郷を去りがたいと語る(写真/新垣謙太郎、小神野真弘=2018年4月2日撮影)
松本英子さん(77)は仮設住宅で3年前に夫をがんで亡くしたが、夫との生活の思い出のある故郷を去りがたいと語る(写真/新垣謙太郎、小神野真弘=2018年4月2日撮影)
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未だに帰還困難区域に指定されている双葉町の目抜き通り、ほとんどの店や住宅は原発事故以来のままである(写真/新垣謙太郎、小神野真弘=2017年7月20日撮影)
未だに帰還困難区域に指定されている双葉町の目抜き通り、ほとんどの店や住宅は原発事故以来のままである(写真/新垣謙太郎、小神野真弘=2017年7月20日撮影)

「あなたは福島で野球をできますか?」。そんなタイトルの記事がニューヨーク・タイムズ紙電子版に掲載されたのは昨年12月29日のこと。同記事は東京オリンピックで野球・ソフトボールの会場として使用予定のあづま総合運動公園(福島県福島市)の現状を紹介。五輪に対する地元の期待の声とともに、公園の一角に汚染土が積み上げられている様子を報じ、「(日本)政府は科学的な根拠のもと、正確な現状を伝えるべきだ」という声を取り上げている。

【写真特集】原発事故から7年。福島の避難区域と避難者たちは今…

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から7年。事故の風化は加速度的に進んでいる。

 内堀雅雄福島県知事は会見で「風化の加速との闘いがより重い問題としてのし掛かってくる」(3月12日)と発言し、報道が減少しつつある現状を危惧した。

 国会で福島の問題が論議されても活字になることはほとんどない。

 メディアが報じなければ、復興の現状が正しく周知されないばかりか、誤った認識を放置することにもつながる。そして当然のごとく、その傾向は国内よりも海外の方が顕著だ。

 震災から7年の節目の3月11日、国内の各メディアが被災地の現状を報じた一方で、米国メディアのほとんどは追悼式典の内容に触れただけにとどまった。アメリカの全国紙であるUSAトゥデーの電子版は福島の現状に関して一行「事故のあった原発の除染作業にはまだ30~40年はかかるだろう」と通信社の記事を載せただけである。

「ほとんどのアメリカ人は原発事故が起こった事は覚えていても、それ以外の細かいことや復興がどの程度進んでいるかは知りません」。そう語るのはモンタナ大学でジャーナリズムの教鞭をとるナディア・ホワイト助教授。彼女は2017年夏、同大学の学生とともに3週間ほど福島県や宮城県を取材した。

 同行した学生のひとり、レネ・サンチェスさん(21)は「現地を訪れるまで、福島は荒れ果てていて人が住んでいるとは思っていなかった」と語る。福島へ行くことを告げると家族や友人からは放射能の被害は大丈夫かと心配された。「アメリカのメディアは負の部分だけに焦点を当てている。もっと現地の復興の状況やそこで今も暮らす人々の生活にも目を向けるべきだ」

 復興五輪とも称される東京オリンピックまで後2年。開催が近づくにつれ、世界からの福島への関心も高まることが予想される。確かに、震災、そして放射能被害の爪痕はいまだ深い。原発近隣の双葉町と大町の大部分はいまだ帰還困難区域に指定されており、仮設住宅も稼働し続けている。住民たちは今、何を想うのか、話を聞いた。

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未だに仮設住宅で生活をする避難者は…