
2018年シーズンが開幕して1カ月以上が経ち、贔屓チームの結果をチェックするのが日課となった今日この頃だが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「野球は騙したほうが勝ち編」だ。
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「日本ハムファイターズの先発・工藤幹夫!」。1982年10月9日のプレーオフ第1戦(西武)、試合開始前にアナウンスされた名前に、誰もが「まさか……」と耳を疑った。
なぜなら、同年、リーグ最多の20勝を挙げた右のサブマリンエース・工藤は、1カ月前の9月8日に右手小指の付け根を骨折し、プレーオフ出場は絶望とみられていたからだ。
しかも、この日も工藤は右手小指に包帯を巻いた姿で球場入りしており、よもやベンチ入りしようとは、誰も思っていなかった。
ところが、これは「もし外部に漏れたら、オレの計画は狂ってしまう」という大沢啓二監督の指示によるカムフラージュで、なんと、工藤は1週間前から密かに投球練習を行っていた。ふだんはギプス姿で、タバコを吸うときもわざわざ左手を使ったという“演技”は役者も顔負けだった。
あっと驚く“奇襲作戦”にすっかり面食らった西武打線は、6回まで術中にはまり、ゼロ行進。工藤は小指の状態が限界に達した7回途中でマウンドを降りたが、打者20人に対し、被安打わずか3、与四球2の無失点という文句なしの内容だった。
0対0のまま進んだ試合は8回、西武がリリーフ・江夏豊をプッシュバント作戦で攻略し、一挙6点。大沢監督のとっておきの奇策も残念ながら初戦の勝利には結びつかなかった。
だが、工藤は同12日の第3戦でも中2日で先発し、被安打7の1失点で見事完投勝利を挙げている。
“騙しの達っちゃん”とも呼ばれた広島の捕手・達川光男が“グラウンドの詐欺師”の異名をほしいままにしたのが、1986年の日本シリーズだった。