近鉄・仰木監督(当時 (c)朝日新聞社
近鉄・仰木監督(当時 (c)朝日新聞社

 2018年シーズンが開幕して約1カ月が経ち、連日熱戦が繰り広げられているが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「後悔先に立たず編」だ。

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 監督が抗議して判定を変えさせた結果、「まさか!」の本塁打が飛び出し、自ら墓穴を掘る結果を招いたのが、1981年8月15日の巨人vsヤクルト(神宮)

 4対2とリードした巨人は9回、先頭の河埜和正が四球の後、篠塚利夫が送り、1死二塁。ここで7回にホワイトの代走に起用され、そのままセンターの守備固めに入っていた松本匡史に打順が回ってきた。

 松本はカウント1-2から大川章の4球目をハーフスイングし、空振り三振に倒れたが、捕手・八重樫幸雄が後逸したのを見ると、脱兎のごとく一塁に走り込み、振り逃げが成立した。

 ところが、ヤクルト・武上四郎監督が「松本のバットは回っていない。あれはボールだ」と抗議したことから、審判団は協議の末、松本の振り逃げを取り消し、2-2から打ち直しとした。

 武上監督にとっては「とりあえずピンチを広げずに済んで助かった」といったところだが、そうは問屋が卸さなかった。

 松本は大川の5球目を見送ってフルカウントにした後、ファウル3球と粘りに粘り、なんと9球目を左越えにダメ押し2ラン。

 左肩の手術を経て、スイッチヒッターに転向するなど、人知れぬ努力で数々の試練を乗り越えてきた苦労人は、この年がターニングポイントになり、その後、“青い稲妻”として活躍することになる。

「あんなことになるのなら、抗議するんじゃなかった……」と武上監督はさぞかし後悔したことだろう。

 1989年、セリーグの本塁打王争いは、9月13日の時点で阪神のフィルダーが38本でトップ。ヤクルトのパリッシュが3本差の35本で追う展開となった。

 ところが、翌14日に行われた巨人戦(東京ドーム)で、フィルダーが自業自得とも言うべき負傷でリタイアというまさかのアクシデントに見舞われるのだから、世の中何があるか本当にわからない。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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