97年のヤクルトのチーム打率.276、同得点672はいずれもリーグトップ。まさに“つながり”で日本一をつかんだ当時を例に取ると、実はスタメン2番で最も起用されたのは、52試合の辻発彦(現西武監督)で、稲葉監督は40試合だった。それでも、97年の2番は「稲葉」に象徴されるというわけだ。
その年、21本塁打を放ちながら、犠打は10という攻撃重視の「稲葉型」2番を侍ジャパンでも採用するなら松本、一方のつなぎの「辻型」なら菊池だろう。
セの場合、投手が9番に入るため、単純な比較はできないが、上位に回す役割としての打順の“最も下位”という意味合いで、今回の「9番」を「8番」に置き換えてみれば、97年当時のヤクルトの「8番」は宮本慎也(現ヤクルト一軍ヘッドコーチ)だ。通算2133安打、408犠打の巧打者は稲葉監督の同期入団で、その年、8番で98試合に起用されている。ここでチャンスを作る、あるいは拡大して上位打線に回していく「宮本型」の9番なら、田中でも今宮でもそのイメージ通りと言えるだろう。
そして6番。97年のヤクルトで、この打順を最も務めたのは32試合の池山隆寛(現楽天二軍監督)だが、ヤクルトHPの「主なラインアップ」で6番に名前があるのは、23試合でスタメン起用された土橋勝征(現ヤクルト一軍内野守備走塁コーチ)だった。内外野OKで、そのシュアな打撃ぶりはまさしく外崎と同タイプだ。
さらにその年、26試合で6番を務めた小早川毅彦(現野球評論家)、同5試合の稲葉は上林と同じく中距離タイプの左打者だ。稲葉監督が意識しているのか、それとも潜在的な部分なのかは直接尋ねてみたわけではないので断言こそできないが、その選手起用法には、どこか“ノムさんの影響”が見えてくる。
2年後の東京五輪へ向けて、今秋には日米野球が予定されている。稲葉監督は今後の選手起用、抜擢についてこのように語っている。
「今回の選手を軸にしていきます。その中で、今年若い選手が活躍して、一度トップチームに集合したときに、国際大会でどういう活躍をするか見てみたいなという選手は呼びたいと思うし、とにかく、今日のチームをまず土台にしてやっていきたいなと思っています」
悲願の金メダル獲得へ、今回のメンバーをさらに“稲葉色”に染めていく。そのためのカギは、ひょっとしたら“野村型起用法”にあるのかもしれない。(文・喜瀬雅則)
●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス、中日、ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。