各地でオープン戦も真っ盛りだが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「退場編」だ。
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ひとつの判定をめぐり、監督、選手、コーチの3人が退場処分になるという珍事が起きたのが、1980年7月5日の阪急vs南海(大阪)。1点を追う南海は7回2死二塁と一打同点のチャンスに、3番・片平晋作はカウント2-2から今井雄太郎の6球目、内角高めを見逃し三振。
判定に納得がいかない片平が「今の球は頭のところを通っている」と寺本勇球審に抗議すると、ベンチから広瀬叔功監督も憤怒の形相で飛び出してきて、寺本球審に体当たり。本塁ベース付近に南海のコーチ陣も集まり、審判団を取り囲む騒ぎになった。
実は、広瀬監督は6回1死満塁のチャンスでも、岡本圭右がカウント1-2から外角低めの際どい球をストライクにとられ、抗議したばかり。
「ストライクゾーンがまちまち。努めて辛抱してきたが、ミスジャッジが多過ぎる」とついに怒りを爆発させたというしだい。
ところが、広瀬監督に退場が宣告されると、今度は片平が「親分の仇」とばかりに寺本球審の首をつかんで暴行。だが、混乱のさ中の寺本球審が暴行を認識できなかったため、片平はそのままファーストの守備に就いた。
しかし、ネット裏で一部始終を見ていた堤パリーグ大阪事務所長から「片平も暴行した」と物言いがつき、審判団は協議の末、遅ればせながら、片平も退場処分にした。
すると、今度は「一度守備に就いてから退場を宣告するのはおかしい」と怒った新山隆史投手コーチが寺本球審の顔面にパンチをお見舞い。当然、新山コーチにも退場が告げられ、プロ野球史上初の1試合3人の退場劇となった。
時間差で3人から相次いで暴行を受けた寺本球審にとっては、厄日としか言いようのない一日だった。
監督の退場というと、広島時代に通算8度の退場を記録したブラウン監督を思い浮かべる人も多いはずだが、ロッテで通算8年間指揮をとった金田正一監督も“元祖退場王”として知られている。
1990年6月23日の西武戦(西武)、6対5と1点リードのロッテは7回裏、2死二、三塁のピンチ。ここでマウンドの園川一美は9番・田辺徳雄に対し、カウント1-1から3球目を投げようとしたが、三塁走者・デストラーデが本盗の動きを見せたことに慌てふためき、セットポジションで静止せずに投げてしまった。
「ボーク!」。高木敏昭球審が宣告し、三塁からデストラーデが同点のホームを踏んだ。