とにかく、周囲からの「我慢しろ」という雑音がうるさくて、まるで「子どもができたら母親はもう自分の人生を捨てて、成長するまで子どものために生きろ」と脅迫されているように聞こえるときがあります。私は、自分の人生は私が生きるためのものだと思っているし、母親や子どもにだって、自分の人生を生きてほしい。お互いサポートが必要な時期があるとしても、私は子どもに、人生を捧げるほど苦痛を負わせて介護してもらうなら、私の貯金でさっさと介護施設に入れてほしいし、延命治療もしてほしくない。「子どもとしてどうなの?」と言われたとき用に、証書を書いておこうかと思うくらい。
周囲の注文や自己犠牲賛歌が、洗脳のように「理想的なお母さん」の固定観念をつくりあげ、母親の自由を奪っているのです。そしてそれは、さりげなく、母親世代から次世代に「私の頃は~」とじわじわ伝わります。そんな昭和の教育を受けた男性が作り上げたのが、今回の歌ではないでしょうか。
そう考えると、この曲で判明した私の最大のイラつきポイントは、周囲による育児観の押し付けですね。「我慢や自己犠牲が美徳だという育児観を広められると、真に受けた人が斜め上から文句を言ってきて疲れるのでやめてほしい」という点です。
もうすぐ平成も終わります。そろそろ、子どもがいても、もっとのびのび生きながら育児できるような「環境づくり」と、それと一緒に「価値観の再構成」が必要であるように思います。