作詞家は「大変だね」「頑張ってるね」と母親を包み込み、でも「赤ちゃんがいるっていいね」と優しく救済する歌』をつくろうと意図したのではないでしょうか。でもこの曲を聴いたって、「大変なこともあるけどあなたがいて子育て楽しいよ」という気持ちになるどころか、かえって疲れる気しかしないのです。子育てで死ぬほど苦労や我慢して疲弊した母親に対し、強引に「でも、あなたに会えたから幸せなのだ」とラブソングよろしく綺麗に締めくくられても、「育児はそんな単純じゃなく壮絶だ」と言いたくなります。内容もある程度正しいけれど、疲れたお母さんが救われる具体的な要素もなく、「レトロな教育をうけた男の歌だなぁ~っ」と感じました。
教育評論家の尾木ママは、賛否両論あるこの歌詞を読んで「子育ての苦労や喜び 議論し合えるといいですね」とブログに書いていました。私も、もしこの歌を活用するなら、夫をはじめ周りと「この歌のどこが嫌なのか」議論して、自分の「イラつきポイント」を明らかにして改善することだと思います。うちの母親も、育児の苦労を思い出して「今だから言えるけど」と過去の育児日記を取り出し、「ほら、この日はお父さんが釣りに行っちゃって、お母さん大変だった」と日付つきでこれでもかと育児の苦労を吐き出し、最終的に「今の人たちは~」「特にあんたときたら~」と責めてきました。私は私で、「夫にそんなことされたら別れる」「今の時代はもう~」と、昔と異なってきた価値観を挙げて対抗しました(実際に今、夫と離れて暮らしています)。少子化が問題視されているのだから、非常に大変な「育児」という行為が、昔も今も同じで改善されていないなんて、あってはならないことでしょう。
うちは養育にかかるお金は折半にしていたので、私は子どもを産んだ後も働いていました。出来るだけ育児を負担に思いたくないから、シッターさんだって、NPO法人だって、ファミリーサポートだって、民間のママ援助サービスにだって手伝ってもらっていました。ストレスをためないために自分の好きな服だって買うし、ご飯だって、子どもが好きな食べ物かとか関係なく、時間的精神的な問題で生協の宅配サービスを利用していた時期もありました。私はあまり他人の声を気にしないので色々と手伝ってもらっていますが、真面目な友人は1人で頑張ろうとする育児に疲れ果てて、「私が児童相談所行ったほうがいいと思ったら教えて」とまで追い詰められていました。子どもだって、すぐに「うるさい!」と癇癪をおこし怒鳴ってばかりのお母さんと2時間いるより、余裕ある優しいお母さんと1時間遊んだほうが楽しいでしょう。