中日への入団が決まった松坂大輔 (c)朝日新聞社
中日への入団が決まった松坂大輔 (c)朝日新聞社

 鮮やかなスカイブルーのトレーニングウエアは、両肩の部分に、ドラゴンズのチームカラーである深めの紺色、通称「ドラゴンズ・ブルー」が施されていたのは、単なる偶然だったのだろうか。およそ100人の報道陣。地元・名古屋のテレビ局が、入団テストの結果を生中継したほどの盛り上がりぶりに、自主トレ中の選手から「ドラゴンズが始まって以来の報道陣の数だね」の声が出たほどだった。

「個人的に“竜”が好きで、グラブにも刺繍するくらいなんです。何か縁があるのかな。そう勝手に思っています」

 松坂大輔を基点とした、メディアの喧噪の輪。穏やかな表情で“ドラゴンズ”にまつわるエピソードを、自ら披露した。質問した記者の方に視線を向け、言葉を慎重に選びながら話し始める。メディアの先にいるファンに対して、まるで語りかけるかのように、ちょっとしたストーリーを披露していく。そうした心遣いとウイットに富んだ会見は、世界の大舞台で、その実力を長年にわたって見せつけてきた「スーパースター」にふさわしい振る舞いに映った。

 2018年1月23日。冬のナゴヤ球場に、松坂大輔がやって来た。「入団テスト」と位置づけられた舞台を、37歳の右腕は「久しぶりの緊張感」と表現した。ソフトバンクでの3年間で1軍登板はわずか1試合、1イニングのみ。レッドソックス時代の2011年に右肘靱帯再建手術、いわゆる「トミージョン手術」を受け、ソフトバンク1年目の2015年にも右肩を手術した。

 投げる、痛める、そして投げられないという、負のスパイラルの状態が、長らく続いている。昨季も、日本球界復帰3年目で初先発の予定だった4月15日のオリックス戦(ヤフオクドーム)の直前に、右肩に異常を訴え先発回避。以後、1軍どころか、2軍でもマウンドに立てなかった。

 3年契約の満了に伴い、ソフトバンクが提示したといわれているのは「リハビリ担当コーチ」の肩書で、復帰を目指すというものだった。かつて、右肩手術後の斉藤和巳氏が現役復帰を目指し、このスタイルを取った前例がある。3年間で1軍登板1試合。その“実績”を踏まえれば、支配下選手の貴重な1枠を、松坂といえども与えることはできない。かといって、日米通算164勝の右腕に「育成契約」を提示するようなことをすれば、むしろソフトバンクの方が、球団としての見識を問われる。松坂のプライドと、球団側の最大限の誠意ともいえる“落としどころ”でもあったが、松坂はこれを断ったという。

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「現役投手」にこだわった松坂