8月12日は、まさに“完封デー”だった。マツダスタジアムでは広島が巨人に、ヤフオクドームではソフトバンクが日本ハムにそれぞれ1対0で逃げ切り勝ち。
ZOZOマリンでは西武がロッテに、ナゴヤドームでは中日がヤクルトに、いずれも3対0で勝利。そして、京セラドーム大阪でも、楽天がオリックスに7対0と完封勝ちを収める、といった具合に、完封ゲームが5試合もあった。これは、行われた5試合すべてが完封ゲームだった76年9月25日以来、41年ぶりの珍事である。
そして、最後のもう1試合、横浜スタジアムの阪神 vs DeNAも7回を終わって、DeNAが1対0とリード。このままいけば、プロ野球史上初の全6試合が完封ゲームという“快挙”が実現するところだった。
しかし、あと2イニングというところで、“トラのアラフォー男”が「このままでは終われない!」と意地を見せる。阪神は8回、先頭の西岡剛がパットンから右翼フェンス直撃の二塁打を放ち、無死二塁のチャンス。
この場面で打席に入った40歳のベテラン・福留孝介は、カウント1-2から低めに沈む変化球をとらえ、打球がパットンの足を強襲して一、二塁間を抜ける間に西岡が生還(記録は内野安打)。試合を振り出しに戻すと同時に、6試合すべて完封ゲームという珍事にもストップをかけた。
「走者を進めようと思ったら、結果的にいいところに飛んでくれた」(福留)
まさに技ありの一打だった。さらに福留は延長10回1死、左翼ポール際に決勝ソロ。同点&勝ち越しと一人でチームの全得点をたたき出して、勝利の立役者に。しかも、決勝弾は史上61人目となる通算250号というビッグなオマケ付き。
「打った瞬間、(感触が)良かったので、何とか届いてくれと思いました。記念の一発がいいところで出て、それが勝ちにつながったのが良かった」(同)
かくして、オール完封デーは、一転して福留デーに変わってしまった。
●プロフィール
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。