問題は原稿だ。この日の早いうちに初稿を担当者に送り、その意見を聞いたうえで2日後に最終稿を戻すことになっている。時間がたてば体調はさらに悪くなるかもしれない。最低限の初稿は届けなければとスマートフォンを使って書いていると、最終稿の締め切りが1日早まったと連絡がきた。
だが泣き言は言えない。なにしろ番組で「いっちょやってみるか」と大見えを切ったばかりなのだ。しかも高熱という「ネタ」まで転がり込んできている。
何とか初稿を書き終え、担当者に送った。看護師との会話に引っかけて「厳しい質問をされたわけでもないのに倒れるなんて」というオチにした。熱で神経が高ぶったせいか、妙に作りこんだ文章になった。一夜明けて熱が下がり、入院が遠のいたところで全面的に書き直した。それが、いま読んでいただいているこの文章だ。
本当のことを言えば、体調が万全なときを10とすると現在は5だから5割程度の文章が書ける――というものではない。いくらがんを「ネタ」と呼ぼうと、体調が本当に悪くなり、いざ大物の「ネタ」を手に入れたら何も書けなくなることはこの1年10カ月で身に染みている。
締め付けられるようなおなかの痛みでソファにへたり込み、帰宅した配偶者に「お帰り」のひとことも言えなかったこと。頭にかすみがかかったように集中できず、あれだけ好きな本を2、3ページ以上読み進められない日々が続いたこと。
しんどさの中身は別にして、これからもさまざまな大波、小波に見舞われていくことは避けられないのだ。
だからこそ、やれるときに、できることを、精いっぱいやる。そんな原点を改めてかみしめた、テレビ出演の「光」と、その後の「闇」だった。