どの曲を取り上げるかは基本的にすべて任せていたが、たとえばエド・シーランやジョン・メイヤーといったタイプの人たちばかりでなく、ボブ・ディランやフランク・シナトラの曲を選んでくる回もあり、その守備範囲の広さにしばしば感心させられた。
日本ではまだほとんど知られていなかったジェイムズ・ベイの「スティーリング・カーズ」や、ホージアの「テイク・ミー・トゥ・ザ・チャーチ」など、番組づくりを通じて彼から教えてもらった曲も少なくない。2年間で約100回。けっこうたいへんな仕事だったとは思うが、あの体験はなんらかの形で現在の曲づくりにつながっているのかもしれない。背伸びをせず、ブールスやジャズ、ヒップホップの要素も柔軟な姿勢で取り込みながら誠実な言葉を歌っていくその姿を目にして、そんなことを思ったりもした。
最後に、ギターに関して少々。尾崎裕哉は、ボストン時代、ごく自然にギターを弾きはじめ、短期ながら名門バークリー音楽院でも学んだという。何度か近くで目撃したことがあるのだが、強く刺激されたというスティーヴィー・レイ・ヴォーンの「レニー」、あるいはジョン・メイヤーの「ネオン」といった難曲をさらりと弾かれてしまい、軽い嫉妬を覚えたりもしたものだ。
ギターそのものへのこだわりも強いようで、今回のライヴでは、フェンダー・ストラトキャスターのジミ・ヘンドリックス・モデル、ジャズマスター、ローズウッドのテレキャスター、ポール・リード・スミス、マーティンのアコースティックOM-28などの名器を曲にあわせてつぎつぎと持ち替え、いい音を響かせていた。かつて尾崎豊が愛用していたものと思われるローズウッドのテレキャスターを弾きながら歌った「僕が僕であるために」は、とくに印象に残った。(音楽ライター・大友博)