実は、最近、徐々に小池=タカ派というイメージも広まりつつある。都議選のフィーバーも終わり、様々な情報が冷静に読まれるようになると、特にリベラル系の市民や政治に関心のある無党派層には、タカ派の小池というイメージとともに原発推進の小池というイメージも定着しつつあった。
こうした状況を小池氏側近は冷静に分析している。今回の国政進出に当たり、外交安保政策がどうしてもタカ派的なイメージを作ってしまうこととのバランスで、何かしら離れかけたリベラル系市民の支持をつなぎとめる政策が必要となっている。外交安保で大きな人気取りができないならということで白羽の矢が立ったのが、「原発ゼロ」政策だ。「原発ゼロ」と言えば、リベラル系市民は飛びついて来るとの読みである。
小池氏は、「希望の党」の結成を表明した9月25日の記者会見で、「原発ゼロを目指す」と発言した。これをマスコミは大々的に報じた。単純な人たちは、「すごい、画期的だ」と喜んだ。これは小池氏の狙い通りだ。しかし、実は、この言葉はほとんど意味がない。なぜなら、「目指す」というだけで絶対にやりきるかどうかがわからない。その本気度を示すためには最低限、期限が書いてあるか、その方法を書いてあるかどちらかが必要だが、それはなかった。元々、民進党の前原代表も「2030年代原発ゼロを目指してあらゆる政策資源を投入する」と表明済みで、年限が入っていない分あいまいだと批判されても仕方ないものだった。
さらに、民放番組では、「廃炉も含めて原発に対してしっかりと考え、取り組む。原発の新設は難しいと思う」と発言した。新設は難しいというのは、それ以外の再稼働や運転期間延長などは認めるという趣旨にも解釈可能だ。さらに言えば、この世界では、「新設」と「更新」を分けて考えるのが常識。新設は、新たなサイトに原発をつくることだが、更新は、同じサイトで古い原発を廃炉にして、それに代わる原発を建設することを意味する。新設だけを否定して、現存する原発の長期にわたる稼働とその更新を認めると考えれば、脱原発とはとても言えない。また、廃炉に向けた工程表を作ると言ったのも同じだ。今の原発全てに廃炉の計画が必要であるから、時期を言わなければ、廃炉の工程表を作ると言っても脱原発なのかどうかがわからない。