だが、入院してから2度の抗がん剤治療を受けても病状は改善しない。そこで、いよいよ新薬を検討することになった。

 女優が髪の毛を失う。完治すれば生えてくるとはいえ、その決断は容易ではない。

 おそるおそる副作用について雅子さんに伝えると、反応は意外なものだった。ドラマ『西遊記』で三蔵法師を演じた雅子さんは、こともなげにこう言った。

「私、日本で一番坊主頭が似合う女優って言われてるのよ。そんなこと気にならないわ」

 いざ治療を始めると、副作用は想像以上だった。

「髪の毛はすべて抜け落ち、吐き気、倦怠感、めまい、眼底出血。この世のものとは思えない苦しみだったと思います。でも、雅子はずっと耐え続けました」(一雄さん)

 幸いにも、白血病の症状が消え「寛解」に入った。ところが、8月中旬に風邪を引いてしまう。抗がん剤治療で免疫力が最も低下した時で、肺炎を併発してしまった。

「肺炎になってから意識が混濁し始めて、肺不全となり数日の間で亡くなりました。僕らも、病院の先生も、ここまで病状が悪化するとは予想できませんでした。雅子の最期の言葉も、覚えていないんです。それほど予想外の出来事でした」

 85年9月11日。若く才能あふれる女優は、27歳で帰らぬ人となった。奇跡まで、あと一歩だけ及ばなかった。

「母は『髪の毛のことなど気にせず、私が最初から新薬で治療をさせていたら……』とずっと気にしていました。今と違って、当時はとても死亡率の高い薬だったから、母の判断ミスではなかったのですが」(一雄さん)

 雅子さんが亡くなってから5年ほどたったころ、一雄さんは脱毛を怖れて新薬の治療を受けない人たちがいることを知る。その時、雅子さんの闘病中にかつらを準備していたことを思い出し、無料で貸し出す事業を始めようと決意した。

 新薬を早く使っていたら、と悔いていたスエさんも基金設立に賛同し、自ら代表に就いた。雅子さんが残した約4千万円の遺産をもとに、事業は93年12月1日にスタートした。

 雅子さんの死後、かつらの無料貸し出し事業で精力的に活動したスエさんは、08年に亡くなった。基金は一雄さんが引き継ぎ、現在でも毎年500~700人にかつらを無料提供している。(AERA dot.編集部・西岡千史)

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