2017年9月11日で32回目の命日を迎える女優・夏目雅子さん。急性骨髄性白血病という、当時は「不治の病」と呼ばれた病におかされ、27歳の若さでこの世を去った。生きていれば今年の12月17日で60歳。今なお「昭和の名優」として愛され続ける夏目雅子さんの闘病生活を、実の兄である小達一雄さんが語ってくれた。
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「ここから飛び降りてでも私は劇場に行く!」
1985年2月、体調不良で都内の病院に緊急入院した雅子さんは、4階の病室で半狂乱になっていた。上演中の舞台『愚かな女』は初の主演で、ドラマ『西遊記』、映画『鬼龍院花子の生涯』などで女優としての評価を確固たるものにしていた雅子さんにとって、途中降板は受け入れることができなかった。
「飛び降りようとする雅子をみんなで羽交い締めにして、何とか治療を受けさせようと必死でした。雅子は舞台の仕事がとても好きでしたから」(一雄さん)
今とは違い、当時はがんは本人に告知しないことが一般的。雅子さんも例外ではなく、病名は医師や家族から「重度の貧血」と説明され、亡くなるまで告知はなかった。しかし、急性骨髄性白血病は抗がん剤の副作用に耐えないと完治しない。中途半端な気持ちでは病に勝つことはできない。でも、病名を告げることもできない……。
そんな時だった。『愚かな女』の演出を担当した福田陽一郎氏が、病院に訪れた。一雄さんは、福田氏と雅子さんの激しいやり取りが今でも忘れられない。福田氏は雅子さんを叱り飛ばしたのだ。
「ふざけるな! 『愚かな女』はお前の舞台なんだ。だからどんなことがあっても、お前が復帰するまではこの舞台は再演をかけない! 芸能人は、支持してくれるファンの方のために、きちんと対応できる体力を持ってないとプロとは呼べない。今、お前はその体力をつける時に来てしまったんだ。がんばるんだ!」
雅子さんは目には涙が浮かべ、泣きながら言い返した。